**誓いてし scene7 呼び声




 ハルバラドは、早々に宴を退出していた。
 彼は、エルフというものが嫌いだった。表立っては精一杯礼儀を尽くすとしても、それ以上の付き合いはご免だった。“エステル”と、族長を呼ぶ時のエルフ達の自慢げな声。まるで、自分達の物とでもいうようなあの声の調子を聞くと、子供ぽいと言われようが何であろうが、どうにも我慢がならなかった。
 族長はドゥネダインの長であり、人の子の王たるべき者なのに、エステルと呼ばれるアラゴルンは、まるでエルフ族に属している者のように、遠く感じられてならなかった。
 それにあの緑葉の王子ときたら、自分の所有物だとでもいうように、アラゴルンを片時も傍から離さない。内心では鬱陶しがっているくせに、アラゴルンも決して嫌とは言わず王子の好きにさせている。そんな二人を見ていると、助力を願いに来た立場を忘れ、何か不穏当なことを口走りそうだったので、彼は早ばやと自分の部屋に引き上げていた。
――――――早くここを出て、また族長と二人だけになりたい。
 それも明日までの辛抱だった。明日の朝には出立の予定だから。宴の席からくすねてきた酒瓶をあおり、さっさと寝てこの不愉快な夜を遣り過ごしてしまおうと、ハルバラドが寝台の上で悶々としていた時だった。




彼は、唐突に寝台の上に起き上がり、耳を澄ませた。
いや、聞こえたのは耳にではなかったが。
彼はアラゴルンの放つ呼び声を、心の中に聞いたような気がした。
――――――今のは?
それは、明確な声ではなく、何か形にならない思念のようなものだった。
不安というか、困惑というか、そういったものの強い感情が、言葉にならずに思わず放たれたようだった。
ハルバラドは、即座に帯剣用のベルトを身に付け、枕元に置いていた剣を携えると部屋から出た。
――――――族長の身に何が
 胸が、嫌な予感で早鐘を打った。このエルフの岩屋で、アラゴルンの身に危険が降りかかるとは思えなかったが、族長が確かに何か困窮している思念を感じた。
 


 入り組んだ構造の岩屋は迷路のようだったが、思念の来た方角は、水上の船の軌跡のように、ハルバラドの心の目にかすかに見て取れそうだった。目を閉じるとハルバラドは迷子にならないように、一方の壁に手を当てて慎重に進んだ。目を閉じた方が、いっそ呼び声の来た方角が分かりやすかったので。そうやって、どのくらい進んだものか。突然、右手を沿わせていた壁が終わった。不思議に思って目を開けると、月が目に映った。
 そこは不思議な場所だった。岩屋にぽっかりと空いた中庭というか。木々が、月明かりを浴びて、レースのような青い影を地面に落としていた。ひんやりと夜露に濡れた、草を踏みしめて、ハルバラドはためらいながらも進んだ。



*** 

 月光に浮かぶ瀟洒なあずま屋の中で、白い花綱に拘束され、アラゴルンは世にも妖しい姿を晒していた。ばらりと解かれた野伏服から覗く、しなやかな筋肉。エルフの舌に嬲られ、唾液に濡れて赤く色付いた胸の上の飾り。散々喘がされ、汗ばんだ肌に張り付く乱れた黒髪。
 そして、手に足に腰に絡まる、白い花綱。それは動きを封じる目的よりも、いっそ、抗いながら堕ちていく戦士の図に、「緊縛」という劣情を掻き立てる効果を添えている。


 白い花が放つ甘い芳香の中、手に入れた贄にのしかかり、緑葉の王子が不埒に腰を動かしていた。エルフの腰が動くたび、押し殺した忍び音がアラゴルンの口から漏れ、王子を微笑させる。
「エステル、もっと欲しがってごらん…、僕のエステル」
エルフがアラゴルンを抱きしめ、耳元で囁く。
「ぃ…ゃだ!…くっ……!」
「素直におなり、こんなに感じているくせに。前も、ほらこんなに…」
弓なりになった昂ぶりを指でなぞられ、アラゴルンが頬を朱に染め、自分の手を拘束する花綱をきつく握りしめる。
「…触る…な!」
「意地を張るのは、お止めよ。もうもたないくせに」
レゴラスはそう言うと、ふるりと腰を揺すった。
「ぁぁあっ……!」
エルフの巧みな腰使いに、媚薬に侵されたアラゴルンはたわいも無く絶頂に導かれた。エルフはそのまま、何度かアラゴルンをわななかせると、やっと自分も欲望を解放した。
 結合を解いて、荒く息をするアラゴルンを抱きしめながら、エルフが掻き口説く。
「僕のエステル…、分かっただろう。君の身体の隅々まで知っているのは、僕だけだ。僕だけが、君を充分に愛してあげることが出来るんだ、どうして、この僕を平気で袖にするのさ」
口付けを浴びせるエルフから逃れるように、アラゴルンが顔を背ける。
「…レゴラス…、もう、満足しただろう、これを…解け!」
目の端に滲む涙ごしに、アラゴルンが気丈にエルフを睨み付けて、拘束された両手を顎で示した。
「嫌だね、僕はまだ満足していない。言っただろう、これは、ずっと僕の誘いを断って、他のエルフ達には簡単に身を許した罰だって」
 その時、反論しようとしたアラゴルンがレゴラスの肩ごしに何かを見、身体を固くした。それに気が付いたエルフがゆっくり振り返ると、そこには抜き身の剣をかざしたハルバラドが怒りの形相で立っていた。



「その人から 離れろ!」

 レゴラスは服をはだけたまま立ち上がると、優雅に両手を挙げた。
「驚いたな、どうやってここに辿り着いたんだい?」
「アラゴルン!」
ハルバラドが名を呼んで、族長に駆け寄ろうとしたのを、レゴラスが押しとどめた。
「待てよ!ドゥネダインの副官は無粋だね。僕達が合意の上で楽しんでいるとは思わなかったの?」
ハルバラドは、蒼ざめてうつむいたアラゴルンとレゴラスを交互に見やると、叫んだ。
「族長が、夕星様の他に心を移すはずがない!」
その言葉は、レゴラスを微笑させた。
「心は移さなくても、楽しむことは出来る。現に、僕達がこうやっているのは初めてじゃないし」
「黙れ!」
「出て行くのは君の方だと思うけど」
「黙れ!昔のことはともかく、この人は二度と誰とも火遊びはしないと誓ったんだ!」
「へぇ…」レゴラスが目を細めた。
「それは、君に誓ったっていう意・。?」
「そ、そうだ!」
「ははん、急に貞操堅固になってしまったのは君のせいだったのか。なんで、そんな誓いを立てることになったわけ?」
「きさまには関係ない!」
「関係はなくても興味があるな、当ててみせようか。君の恋心にほだされて、アラゴルンはそんな誓いを立てるはめになったんじゃないの?」
「黙れ!」




 頭に血が昇ったハルバラドが、剣を構え直し踏み出そうとした時だった。今までずっと黙っていたアラゴルンが、部下を遮った。
「ハルバラド、駄目だ!剣を退け!」
 族長の言葉に、ハルバラドは剣を構えたままびくっと固まった。
「若造君、族長の言う事をよくお聞き。君の剣を受け損なう僕じゃないけど、そっちはエルフに助力を頼んでいる立場。自分が、何の為にここに来たのかを忘れるのは感心しないな」
 レゴラスに揶揄され、事の重大さに気が付いたハルバラドは、赤くなりそして次に蒼ざめた。必死に気持ちを静めようとしてみたが、剣を握りしめた手は興奮と緊張でぶるぶると震え、自分の意思では制御できない有様だった。
 それに気付いたアラゴルンが、噛んで含めるように静かに声を掛けた。
「ハルバラド、ゆっくり深呼吸をしろ、そうすれば手が動く」
族長の言葉に従って、二度三度大きく息を吸って吐いてみると、確かに手が動いた。震えは収まらず、剣を鞘に戻すのが難しかったが、彼はなんとかそれをやってみせた。
 その様子を眺めながら、レゴラスが微笑した。
「ふふ、アラゴルンがほだされるわけだね。人間の血は熱いんだな。分かったよ、お遊びは終了」
 そう言うと、レゴラスはアラゴルンを拘束していた花綱を短剣で切った。 



身繕いをする二人を、呆けたようにぼんやり見守るハルバラドに気が付いて、レゴラスがからかった。
「何?アラゴルンが服を着てしまうのが名残惜しいの?たぶんまだ薬が残ってるから、君が想いを遂げたいなら絶好のチャンスだと思うけど、今からでも試してみる?」
「お、俺は!」
「なんなら、3人で楽しむって手もあるけど」
 その減らず口を黙らせたのは、アラゴルンだった。ようやく立ち上がると、彼は無言でレゴラスを殴った。
 殴られたエルフの王子が、口の端に滲んだ血を拭いながら、ハルバラドを伴い庭園を出て行こうとするアラゴルンの背に呼びかけた。
「エステル、言っただろう!君に冷たくされるのは嫌いじゃないって。君は大抵の者のことは簡単に許してしまうから、こんな風に怒りをぶつけて来るのは僕に気を許してる証拠さ。他人行儀に愛想良くされるくらいなら、殴られた方が僕は嬉しいね」

 

 

 

アラゴルンは振り返らなかった。




8.8 2004
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