**誓いてし scene4  決意

 その夜は雨だった。オーク征伐を終え、無事に全ての者が帰還したドゥネダインの集落にしめやかな雨が降る。族長が滞在している時だけ灯る領主の館の窓の明かりが、煙る雨のむこうにぼんやりと瞬いている。
その明かりを窓辺で見つめながら、ハルバラドはつぶやいた。


「俺は馬鹿だ}


 嫉妬から、思い余ってアラゴルンに自分の気持ちを伝えてしまった。きっぱり撥ねつけられたものの、アラゴルンは自分の為にと貞操を誓ってくれた。
 自分を慕ってはならぬと彼は云った。そして俺も諾と云った。アラゴルンは俺が決して諦めきれないのを承知で、自分の心を押し殺したそのことを哀れと思い、情けを示したのだ。


「俺は馬鹿だ」


 力なくつぶやく。結局自分は、また一つ彼に重荷を負わせしまったのだ。守りたいと思っていたその人に。
 自分は小さい。ちっぽけで無力だ。それに比べてあの人は---------。
 強くらならねば。いつか本当に、あの人を守れるようになるくらい。そして、あの誓いを撤回させるのだ。これ以上あの人に足枷をつけてはならぬ。  
 でも、今しばらく、惨めな自分に慰めを残してはならないものだろうか。この身を二度と誰にも触れさせぬとあの人は云った。俺の為に。俺の為に。そのことを思うと、心が満たされる。なんと小さい自分。今しばらくその申し出を受けていてはならぬだろうか。

「俺は馬鹿だ」
三度ハルバラドはつぶやいた。


 日々は過ぎていった。傍目には変わりなくとも、ハルバラドは戒めて自らを自制していた。族長に付き従うのは今まで通りだが、必要最小限しか傍らにいないようにした。
 相変わらず、様々な情報を携えてイスタリやエルフ族が族長を訪なうことが度々あったが、客人がいる間、呼ばれぬ限りハルバラドは決して族長の寝所に近寄らなかった。アラゴルンが自分のために課した誓いは無効だと思っているし、その事を伝えねばとも思っていたが、改めて云うとまた自分の気持ちを蒸し返してしまいそうで怖くもあった。
 


*******

  ある秋の夕暮れ、灰色のイスタリ、ミスランディアがある知らせをもたらした。その知らせを受けて、アラゴルンとハルバラドは馬上の人となった。目指すは闇の森。
「何故、まっすぐ霧降山脈に赴かないのですか」
「ゴラムは逃げはしない。問題はあれを捉えた後のことだ。我らドゥネダインの里にあれを置くわけにはいかない。サウロンもあれの行方を追っているはずだから。エルフの都ならば、サウロンも簡単には見通せない。ゴラムを捕らえた後しばらくその身柄を預かってもらうよう、闇の森の王スランドゥイル様にお願い申し上げておかねばならぬのだ。」
 闇の森のスランドゥイル王の盟約を取り付けた後、アラゴルンは単身ガンダルフと合流して二人でゴラムの捕獲にあたる手はずになっている。ハルバラドの役目は、今後アラゴルンが不在の間ドゥネダインの族長代行者となるため、エルフ族への顔つなぎも兼ねてガンダルフとの合流地点まで警護としての同行だ。

 エルフの都に行くのはハルバラドは初めてだったが、ドゥネダインとエルフとの縁は浅くない。代々の族長達は、一通りの武術を身に付け己の身を守れるようになるまで、裂け谷の半エルフ、エルロンド卿の下で育てられるからだ。
その事もあり、ドゥネダインは幼少時に必ずエルフの言葉を教わる。ハルバラドは、本来剣や乗馬が好きな少年で、じっと座って勉強するのなんか大嫌いだったが、その彼に向学心を植え付けたのは他ならぬアラゴルンだった。

 まだ幼かった頃の事だ。ある日いつものように勉強をサボって野原で遊んでいると、不意にアラゴルンが現れて自分に話しかけてくれた。その頃、アラゴルンは族長とはいってもめったにドゥネダインの里にはおらずもっぱら一人で放浪している時期だったので、たまにしか見かけない族長が自分に話しかけてくれた事に驚いたり誇らしくなったのも束の間、自分には族長が何をいっているのか全然解からず呆然となった。どうやら、子供達の勉強を担当している長老の一人から、自分のサボり癖について愚痴をこぼされて一計を案じたらしく、アラゴルンはハルバラド少年が泣きべそをかいても、最後までエルフの言葉しか話さなかった。
 翌日から、ハルバラドは人が変わったように勉学にいそしんだ。あこがれの族長がせっかく話しかけてくれたのに、会話できなかったことが相当悔しかったのだ。
 そんな、昔の事を思い出してハルバラドは馬上で微笑んだ。
「何をにやにやしているんだ?」
からかうようにアラゴルンが尋ねる。
「俺は、昔悪ガキだったなって思い出して」
「はは、お前はやんちゃで長老達もよく手を焼いていた。たまに里へ帰ると、たいていはお前の厄介事の話をまず聞かされたな」
軽やかに声をあげてアラゴルンが笑う。
 ハルバラドは、道中今までに無い幸せを感じていた。ドゥネダインの副官とはいえ、アラゴルンは里にいることは稀なので、こんなに長い時間を一緒にすごすのは初めてといってもいいくらいだった。オークや狼を警戒しながらも、ここまではつつがなく道程を重ねていた。幼いころからあこがれて、焦がれて止まない人と二人きりで。
 前を行くアラゴルンの後ろ姿を見ながら、ハルバラドはひとつの決心をしていた。



  言おうと。


  闇の森での努めを果たしたら、最後に族長と別れる前に、あの誓い、アラゴルンがハルバラドの為に立てた誓いの撤回を申し出ようと、彼は密かに心に決めていた。




back next

>>LOTR topへ戻る