**誓いてし scene3  二つの誓い

「好きなんだ。あなたが!」



  その言葉により驚いたのは、どちらだったのか。少なくとも、云った当の本人のハルバラドは自分の言葉に衝撃を受けた。急に正気に戻ってしまったもので、アラゴルンがどんな反応をするのかと思うと恐ろしくなり、心臓がどくんと嫌な音をたてて跳ねた。
 アラゴルンは、最初少し驚いたように目を見開いたが、やがてハルバラドから視線をそらすと、静かにハルバラドの身体を押して、どいてくれという仕草をした。自分の言葉に唖然としていたハルバラドは、逆らわず、むしろ自分がアラゴルンを組み伏せていた事に驚いて、あわてて飛びのいた。


  アラゴルンはゆっくり立ち上がると、ハルバラドに背を向けしばらく黙っていたが、やがて振り向くと、ぽつりと云った。
「駄目だ」


 期待は何もしていなかったが、アラゴルンの言葉にハルバラドは混乱した。
「駄目って、それはどういう意味です。俺は何を望んだわけでもない。ただ、あなたに気持ちを伝えただけなのに」
  アラゴルンは、真面目な顔でハルバラドを見つめた。
「おまえはわたしの大切な片腕だ。だからこそ色恋沙汰を持ち込んで欲しくない」
 自分だってそう思っていた。一生告げるつもりはなかったのだ。土台、告げたとて報われないことは承知していたのに、いったいどうしてこんな事になってしまったのだろう。ハルバラドの混乱をよそに、アラゴルンが先を続ける。
「わたしとおまえはドゥネダインの族・キと副官だ。それ以上であってはならぬ」
 そこで言葉を切ると、彼は冷たく言い足した。
「ドゥネダインの風紀が乱れる」

 その言葉にハルバラドの頬は怒りで紅潮した。
「ふ、風紀を乱しているのはあなただ!夕べあなたを訪れたエルフがあなたに何をしたか、俺は見てしまった」
  今度はアラゴルンが赤くなる番だった。きまり悪そうに頬を染めると、叱られた子供のようにハルバラドから目をそらした。
 ハルバラドは、アラゴルンの服の胸元をつかむとくってかかった。
「いきがけの駄賃にエルフに身体を与えるなんて…あなたは!」
 怒りで身が震えるのを彼は感じた。
「大げさにいうな、夕べは…、わたしもその気になっただけだ」
「相手が欲しかったのなら、俺が!」
「馬鹿をいうな」
 まるで話にならないとでもいうように、ハルバラドの手をもぎ離して、アラゴルンが短く応じた。
「何が馬鹿なんです。俺は、あなたが!」
必死に食ってかかるハルバラドを、アラゴルンがいさめる。
「自分を安売りするな。おまえに、わたしの火遊びの相手をさせる気はない」
「火遊びでもいい!あなたが欲しくて、俺は時々気が狂いそうになるんだ」
 熱に浮かされたように叫ぶと、ハルバラドは、今度は本気で想い人を組み伏せようと大きく踏み出したが、アラゴルンはすばやく後ろに退いてその腕を逃れた。


 ハルバラドから逃れた拍子に、アラゴルンのマントが空中に大きく翻り、そして静まった。
「駄目だ。ハルバラド」
再びアラゴルンが、きっぱりと告げた。肩で荒く息をして、突き刺さるような眼差しで想い人を見上げる部下に、冷ややかにさえ聞こえる口調で諭す。
「身体を交わせば、執着が生まれる。わたしがつかの間の相手にエルフを選ぶのは、彼らが永遠の流れに身を置き、何事にも執着しないからだ」
「俺が未熟だから、相手にできないと、そういう意味なのか!」
憤りで語気が荒くなる。
「そうではない」
その声はいっそ悲しげだった。
「おまえでなければ、この身くらいいつでも差し出そう。だが、わたしはおまえが大切なのだ」
ハルバラドは再び混乱・オた。
「わからない、あなたは何を云っているんだ」


「お前の、その気持ちに報いることはできない」
---------- 知っている。あなたの心が俺にないことくらい、知っている。でも、告げずにはいられなかった。
「おまえが見ているのは、ただの抜け殻だ。わたしの心は、裂け谷の姫にすべて捧げた。この命は中つ国の命運に」
---------- そんなことは知っている。知りすぎているほど。祖先イシルドゥアの罪を己の罪ように負い、自分のすべてを投げ出し、この世界に殉教しようとしているあなたを俺は見ていられなかった。だから、だから…。
「おまえの、一途な気持ちに見合うものをわたしは何も持っていない。おまえは」
「こんな虚しい者を慕ってはならぬ」

 染み入るような声だった。そして、真摯に自分を見つめる眼差し。
 アラゴルンの瞳を見ると、ハルバラドはいつも湖を連想する。森の奥深くにひっそりと横たわる、凪いだ湖面。
子供のころから、不思議でならなかった。この瞳は何を見てきたのだろうと。長命を誇るドゥネダインの一族の中でも、王統の血をひく者は更なる長命をヴァラールに約束されている。物心ついた時から今へ至っても、アラゴルンの外見は少しも変わっていないのに、その瞳の色合いだけは、逢う度に深みを増していくように思えてならなかった。深く沈んで、悲しげにーーーーーーーーーーーー。
  アラゴルンの眼差しに悲しみを見た途端、潮が引くようにハルバラドから激情が去った。


 ーーーーー---気持ちを伝えてどうするつもりだったのだろう。彼が応えられないのを知っていたくせに。嫉妬だ。夕べ垣間見たエルフとの情事に嫉妬したのだ。あわよくば自分もと思ったのだ。自分はちっぽけだ。この、世界を肩に負った人の剣になり盾になり、少しでもその背負う荷を肩代わりしようと思っていたのに、このざまはどうだ。
 お前の愛とはこんなものか、ハルバラド。これでは、ただの薄汚い愛欲だ。己を捨てたこの人から、なおも何かを貪ろうとする死肉漁りだ。
ハルバラドは大きく息をついた。
「あなたを虚しい者とは思いませんが…、俺がおろかでした。俺の気持ちは祖先の眠る地中深く埋めて、二度とあなたを煩わせたりはいたしません」
そう言うと、彼は膝を付き忠誠を誓うようにこうべを垂れた。



 アラゴルンは、その言葉を噛みしめるように静かに目を伏せると、しばらく沈黙した後に云った。
「ハルバラド、わたしもおまえに誓おう」
 その厳かな声音に、ハルバラドはこうべをあげた。 遠雷がちかづいてきて風と黒雲をもたらし、しめりけをおびた風がアラゴルンの黒い髪を宙にさらう。ハルバラドは、なにか崇高なものを見るような気持ちで、稲光と風にさらされて立つ族長の姿に見とれた。
「わが心はアルウェンに、我が命は中つ国の命運に。おまえには…」
「貞操を誓おう。二度と誰にも、この身を触れさせぬ」



 この言葉を聞いた途端、ハルバラドは落涙した。泣いてはならぬと己を叱責し、下を向いたまま大きく目を見開いたが、ぽたぽたと熱い涙が溢れて地面に染みを作った。
 何故、何故この人は自分などの為にこんな誓いをたてるのだ。自分は結局この人を困らせただけなのに。自分勝手に激情をぶつけ、あげくの果てにこの人に、こうしてまた自分を切り売りをさせた。それこそを、自分は止めさせようと思っていたはずなのに。
「族長…!」
「それで、許してはもらえぬか」
崩れ折れ慟哭するハルバラドの傍らに自らも片膝をついてかがみこみ、アラゴルンは云った。


 大粒の雨が落ちてきたと見る間に、銀色に煙る幕のように、二人の周りに雨のカーテンが幾重にも広がった。
 何故この人は自分に許しを請うのだ。この人にはなんの咎もないというのに。自分にはそんな価値はない。この人に無用な誓いを負わせてはならない。早く、首を横に振らねば。あなたはそんな誓いを立てる義務などないのだと。早く、早く否というのだ!


 だが、理性に反してハルバラドは首を縦に振っていた。
ハルバラドは、滂沱の涙を流しながら、濁流になりかけている地面に腹ばいになり何度も頷いていた。
二度とあなたを困らせたりしない、あなたにこれ以上決してなにも望まない。この心も命も身体も、人生も何もかもあなたの為に捧げる。


-------------すでに捧げたものだけど、改めて俺は誓う。


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