**誓いてし scene2 遠雷
「ハルバラド!」
アラゴルンが叫んだが、その声は、奔走するオークの小隊を凄まじい形相で追い詰めている当人の耳には入っていないようだった。
「退け!」
アラゴルンは叫びながら、馬を駆ってハルバラドの前に躍り出て、行く手をさえぎった。
「後退の命令だ!聞こえないのか!?」
族長に叱責されて、初めてハルバラドは我に返った。
オーク征伐二日目の夕方のことである。
この日の成果も目覚しいものであった。特に、副官たるハルバラドの働きは鬼神のごとく、剣の届く限りの敵をなぎ払い、血祭りにした。皆、口々に彼の働きを誉めそやしたが、族長のアラゴルンだけが、ハルバラドの冷静を欠いた行動に不審を感じていた。
「俺が何だっていうんです」
一人、皆から離れた場所に呼び出されたハルバラドは、アラゴルンの問いかけに不機嫌に応じた。
「おまえは、今日2度命令を無視した。昼は、隊形を保てと云ったのに、真っ先に陣形を崩し、さっきは深追いするなと言ったわたしの言葉を無視した。今日は、運がこちらにあったと見えて大事に至らなかったが、この先もそうとは限らない」
「目的はオーク狩りでしょう、俺は充分務めを果たしたつもりです」
「戦士としての働きは評価する。だが、わたしは副官としてのおまえの務めの話をしているんだ」
痛いところをつかれ、ハルバラドが下唇をかんだのをアラゴルンは見逃さなかった。彼はそっとハルバラドに近づくと、その顔を覗き込んで尋ねた。
「何があった?おまえ、今日はおかしいぞ」
強情にアラゴルンから目を逸らしていたハルバラドが、観念したように族長の顔を見た。
オークの黒い返り血を浴び、お互いそうとう凄まじい姿だったが、血と汗と泥にまみれても、アラゴルンは美しかった。汗に濡れた毛先が首筋にからまり、視線を喉元へと誘導する。野伏の服のわずかばかり開いた襟からのぞく、喉元のくぼみ。夕べのエルフはその窪みに舌を這わせ、思う存分ねぶっていた。そう思った途端、昨夜から自分を支配している惑乱がまた襲ってきた。
押し殺したむせび啼く声。
せがむようにエルフの腰に絡まる白い足の残像。
「俺は…!」
そういうと、ハルバラドはアラゴルンの胸ぐらをつかんで詰め寄った。とっさのことで、相手の出方に予測が付かなかったアラゴルンがバランスを崩し、二人とも地面に倒れこんでしまった。
「俺は…!」
「どけ、ハルバラド。重い」
鬱陶しそうにアラゴルンは云うと、ハルバラドを自分の上から押しのけようとしたが、自分より大分年下なくせに、体格だけはひと回り大きい相手はびくともしない。
はからずも身体の下に組み伏せてしまったアラゴルンの身体は、眠れぬ夜の夢想の中で幾度も抱きしめ、想い描いていたよりもずっと華奢で、夕べから続いていためまいに拍車をかけた。
「俺は…、あなたが…!」
自分の身体に密接した、アラゴルンの肢体。めまいと惑乱が、ハルバラドに決して口にするまいと思っていた一言を云わせた。
「好きなんだ。あなたが!」
熱に浮かされたように、ハルバラドが告げた。
その時、空の向こうからかすかに遠雷が聞こえた。