**星を仰ぎて 6話   出立

 

 

晴朗な日であった。
 角笛城の城門の前に広がる芝生の上には、既に出立の準備を整えたローハンの騎士達の姿があった。少し離れた所には、放射状に光りを放つ銀の星を左肩につけ、静かに佇むドゥネダインの一団。  
 セオデン王とエオメルに別行動を取る旨を話しているアラゴルンを、エルフの王子がドワーフと並んで見守っている。
 
 この光景を見渡しながら、ハルバラドの胸に感慨が込み上げた。
―――――― 昔、あれほど嫌っていたエルフの若殿が、今では、頼もしいアラゴルンの守り手に見える。 
 

 緑葉の王子よ、エルフ族は倦み疲れ、西へと渡っていく。ただ一人、同胞を離れこの戦争に身を投じるあなたへ、心から感謝を捧げ申す。

たとえ俺が、この戦で命を落す運命でなくとも、ヌメノールの王統の最期まで付き従うのは叶わぬ身。見届けるのは、あなたとなるでありましょう。あなたが族長の傍らにいてくださる事を、言い尽くせぬ程ありがたく思っております。

 その時、まるでハルバラドの心の声が聞こえたかのように、レゴラスが振り向いた。彼はハルバラドに向き合うと、腕を組み、とっくりとその姿を眺めやった。
「エステルの時も思ったケド、人の子の成長には目を見張るモノがある。ハルバラド、今の君には、歳を経たエルフの叡智を感じる。いや、叡智というよりは…」
 エルフの王子はしばらく考えていたが、丁度良い言い回しが見当たらなかったようで、思い出すのを諦め言葉を続けた。
「実際の所、最初君だと気付かなかった。ついこの間まで、ほんの若造だったのに」
「あなた達の種族から見れば、俺など、今でも若輩に過ぎません」
「ヒトの子の一生は、僕らから見ればほんの瞬きの間。だけど、その生の輝きには時々圧倒される」
 長い顎鬚にりっぱな体躯を持つドワーフが、二人の話に割って入った。
「全くりっぱなもんだな、ドゥネダインってのは、たいした面魂をしている。わしはあんた達と共に戦えるのが嬉しいよ」
「グローインの息子ギムリ殿。武勇の誉れ高いドワーフ殿と共に戦えるのは、我らにとっても光栄の至り」
 実直に礼を返したハルバラドに、レゴラスが思い付いたように頷いた。
「そうだ、魂の深さだ。君の目には、経てきた時以上の魂の深さが垣間見える。まるで…、そうだな、深遠をくぐり抜けた後に、星を仰ぎ見た者のようだ」
 王子の言葉に微笑むと、ハルバラドは軽く会釈して、何も言わずその場を離れた。

 

 

出立の時が近い。
 馬を用意する為芝生を横切る時、セオデン王に託したメリアドク氏と、別れの言葉を交わしているアラゴルンの傍らを通り過ぎた。
 すると少し離れた場所で、マークの若い騎士団長が、じっと族長を見つめてるのに気が付いた。その、ロヒアリムらしい剛毅廉直の顔に崇拝が滲んでいるのを認めると、ふと、己の若い頃と重なった。

「エオメル殿、ゴンドールでお会いしましょう。必ずや、族長を戦場までお送り致す」
 エールの代りに声を掛けると、豊饒な金の麦穂を思わせる髪の若者は、最初驚いたように、そして、次には少し不機嫌な顔をして、返答を返した。
「何故、そう自信満々に断言なさる。死者の道を行くなど、狂気の沙汰。アラゴルン殿の片腕ならば止めてくださればいいものを」
 その、少々ふて腐れたような物言いに、おやと、おかしみが込み上げてきた。この若者は、どうやら俺に嫉妬しているらしい。成る程、自分こそが付き従いたいのに、マークの騎士団長の身ではそれが叶わぬからか。
 俺はにやりと、人の悪い笑顔で言ってやった。
「このハルバラドがお傍にいる限り、死者にだとて、族長に指一本触れはさせぬ」
 予兆を見たからだなどと、教えてやる義理はない。歳を喰った者の特権は、若造をからかうことにあるんだから。
 俺の答えに、「それは重畳」と精一杯格式ばっていいながら、内心面・窒ュなさそうに行ってしまったその逞しい背を見ていると、胸に暖かい思いが込み上げた。
 あの若者は、この戦を生き抜けば、次代のローハンの王となる者。帰還せしゴンドール王の、頼もしき盟友となることだろう。
 
 ハルバラドは、エオメルの背にそっと頭を下げた。
――――――エオメル殿、あなたは決して死に給うな。必ずや、この戦いを生きてくぐり抜けてくだされ。心より、心より御武運をお祈りいたす。

 

 

 

そして俺は、族長を振り仰いだ。高台の舳先に立ち、ローハンの一行を見送るその人を。風に吹かれ、マントがなびいてその痩身に纏わり付く。身に纏った野伏服は、擦り切れほつれていたが、その静かな顔に浮かぶ気高さは、魂の清朗さは隠しようがなく。
――――――――― 族長…、俺の…!

 


 未練が無いと言ったら、それは嘘だ。
 見届けたかった。いっさいの己を捨て、中つ国の為にだけ生きてきたこの人の、悲願が成就する、その時を。  
 絶望と嘆きが満ちるこの時代に、決然と一人立つ人を、最後まで見届けたかった。

 

あなたという、見事な焔に引き寄せられる儚き蛾のようなこの生。だが、この塵芥に等しき命に、生きる意味と愛する喜びを、誇りを、生の実感をくれたのはあなただ。

 

 この身はじきに消え行く運命なれど、俺は、かつて望んだ。この人の守り手になる事を。たとえこの身は滅びようとも、想いは永遠にこの地へ留まり、この人を守りぬいてみせよう。

 全ての生は、全ての想いはこの人へと向かい、時に激しく、時に穏やかに、河の流れるがごとく俺は生きてきた。この河は、あとは大海となりて、永久に寄せて返す暖かい想いとなるばかり。

 

 

 

 アラゴルンが愛馬に跨ったのを合図に、ハルバラドが角笛を吹き鳴らした。清浄な大気を震わせ、ヘルム渓谷にその力強い響きがこだまする。
「一路馬鍬砦へ、そして死者の道を抜け、ゴンドールへ向う。全ては中つ国の為に!」
 アラゴルンの言葉に、付き従う者全てが唱和した。希望を持って。

 


「中つ国の為に!」

 


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いよいよ、次ぎのエピローグで最後です。

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