アラゴルンが自分の服の結び目を解こうとした。だが、ハルバラドが手を掴んでそれを阻んだ。彼は無言で想い人の痩身を抱き寄せると、しばらくの間じっとしていた。
小夜鳴き鳥が、心震わせるような美しい声で、再び鳴いた。
ハルバラドは、観念したように大きく息を吸うと、貪るように唇を重ね、アラゴルンを組み敷いた。もう二度と、抱く事はあるまいと思っていたその人を。
口接けを繰り返しながら、族長の服を解いていく。ほのかな月明かりの中に、白い肌が浮かび上がる。堪らず唇を這わせると、アラゴルンの喉がのけぞり、ゆるやかなクセを持つ黒髪が、ばらりと背中に乱れ落ちた。
族長の反応に許しを得たように、ハルバラドの愛撫が性急さを増す。経てきた歳月は、性急さを飼い慣らす術をもたらした筈なのに、そんなものはたちまち吹き飛んでしまった。躯が逸る。
――――――――ああ、とけていく…
互いの呼吸が速くなり、鼓動が重なる。とけてとろけて、俺と彼はひとつになろうとしている。
遠い昔、彼を抱いた。諾々と抱かれながらも、彼は決して自分を手放さなかった。あの絶望的な幾日か、幾度となく抱いたのに、どれ程乱れようと、彼は決して自分のものではなかった。今宵とて、昔彼が言ったように、その命は中つ国の命運に、その心は裂け谷の姫にあるのだろう。でも、今、このひと時限り、この人は俺のものだ。それを、彼が望んだから。
滑らかな肌をきつく吸い、所有の印の赤い花を散らす。手で愛戯を凝らしながら、耳朶を甘咬みすると、アラゴルンの吐息が夜のしじまにたなびくように偲び漏れた。
その刹那、ハルバラドは嵐となった。
彼は想い人を征服する風であり、熱風をはらんだ熱情そのものだった。それと同時に、嵐に翻弄される船の守り手であり、防波堤であり、その口接けは慈雨のごとく降り注いだ。荒々しく、そして限りなく優しくハルバラドは想い人を抱いた。
知っている。これは、死に行く自分への手向けなのだと。自らを、死者に手向ける花のように差し出したのだと。知っていた。知りながら俺は受け取った。
俺は、また間違ったのかもしれない。
この死者への手向けの花、たとえようもなく甘美な花を、受け取るべきではなかったのかもしれない。だが、俺の死さえも、自分の責として引き受けようとなさるあなたに、俺はどう応えればいいのか。
死に行く者と躯を交わすのは、どれほど切ない事だろう。思い出を残すべきではなかったのかもしれない。だが、俺は受け取ってしまった。
とりとめもなく甘美な快楽と、苦悶にも似た哀しみが同時に去来する。
けれど族長、俺のことなど、忘れて下さるものならその方がいいのだが、あなたは決して忘れぬだろう。全てを自分の責とするあなたは。
だから、だから、これだけは覚えておいて欲しい…。
均整の取れた胸が上下するのを見守っていると、収まり行く息遣いの後には、静寂が訪れた。
「族長…」
ハルバラドを目覚めさせたのは、夢だった。
雪が舞い散る夢。
―――――――俺は、北の夢を見ているのか…?
半覚醒した頭でぼんやり考えていると、自分が目を開いている事に気が付いた。窓の外、薄青い夜明け前の空に、瞬く星が見える。
途端に、雪と見えたものは花吹雪となって彼を取り巻いた。ハルバラドが身を起こすと、舞い散る花びらの向こうに立つ人影が、ゆっくりこちらを振り向いた。
―――――――これは、予兆か…………!
花びらが、降りしきる。はらはらと、風に舞いながら。これは、白の木だ…!
「ハルバラド…」
「もう一度、抱きたい」
「おまえときたら…」
ハルバラドの臆面も無い申し出に、心配した自分への照れ隠しにアラゴルンが皮肉った。
「あきれるくらいタフだな…!」
「お忘れのようですが、あなたに比べれば、俺は今だってほんの若造なんですよ」
洒脱に切り返したハルバラドの顔を見つめ、アラゴルンが溜息と共に呟いた。
「本当に時間が過ぎたんだな…。若造扱いされるのを、あんなに嫌っていたおまえが」
ハルバラドが、光が滲むように微笑んだ。彼はアラゴルンを抱き寄せると、その肩に顔を埋めた。
「若造ですよ、今だって…。あなたの前では、ほんの若造です。あなたに追い付きたいと、狂おしくそれだけを願う…」