**星を仰ぎて 5話   手向けの花

アラゴルンが自分の服の結び目を解こうとした。だが、ハルバラドが手を掴んでそれを阻んだ。彼は無言で想い人の痩身を抱き寄せると、しばらくの間じっとしていた。


小夜鳴き鳥が、心震わせるような美しい声で、再び鳴いた。


ハルバラドは、観念したように大きく息を吸うと、貪るように唇を重ね、アラゴルンを組み敷いた。もう二度と、抱く事はあるまいと思っていたその人を。

 

 

 

口接けを繰り返しながら、族長の服を解いていく。ほのかな月明かりの中に、白い肌が浮かび上がる。堪らず唇を這わせると、アラゴルンの喉がのけぞり、ゆるやかなクセを持つ黒髪が、ばらりと背中に乱れ落ちた。
 族長の反応に許しを得たように、ハルバラドの愛撫が性急さを増す。経てきた歳月は、性急さを飼い慣らす術をもたらした筈なのに、そんなものはたちまち吹き飛んでしまった。躯が逸る。

 己の服をも緩めると、ハルバラドは肌を合わせた。


――――――――ああ、とけていく…
互いの呼吸が速くなり、鼓動が重なる。とけてとろけて、俺と彼はひとつになろうとしている。


 遠い昔、彼を抱いた。諾々と抱かれながらも、彼は決して自分を手放さなかった。あの絶望的な幾日か、幾度となく抱いたのに、どれ程乱れようと、彼は決して自分のものではなかった。今宵とて、昔彼が言ったように、その命は中つ国の命運に、その心は裂け谷の姫にあるのだろう。でも、今、このひと時限り、この人は俺のものだ。それを、彼が望んだから。

 

 

滑らかな肌をきつく吸い、所有の印の赤い花を散らす。手で愛戯を凝らしながら、耳朶を甘咬みすると、アラゴルンの吐息が夜のしじまにたなびくように偲び漏れた。
 その刹那、ハルバラドは嵐となった。

 

 彼は想い人を征服する風であり、熱風をはらんだ熱情そのものだった。それと同時に、嵐に翻弄される船の守り手であり、防波堤であり、その口接けは慈雨のごとく降り注いだ。荒々しく、そして限りなく優しくハルバラドは想い人を抱いた。
 
 奪いながら与え、奪い、そして与える。

 自分の動きに敏感に反応して、美しくそる背中を信じられないここちで眺める。
「あなたは、きれいだ。どうして、この世にこんな美しい存在があるんだろう…」
 呟きながら、ハルバラドの胸が震える。

 

 

知っている。これは、死に行く自分への手向けなのだと。自らを、死者に手向ける花のように差し出したのだと。知っていた。知りながら俺は受け取った。
 俺は、また間違ったのかもしれない。
 この死者への手向けの花、たとえようもなく甘美な花を、受け取るべきではなかったのかもしれない。だが、俺の死さえも、自分の責として引き受けようとなさるあなたに、俺はどう応えればいいのか。

死に行く者と躯を交わすのは、どれほど切ない事だろう。思い出を残すべきではなかったのかもしれない。だが、俺は受け取ってしまった。

 

とりとめもなく甘美な快楽と、苦悶にも似た哀しみが同時に去来する。


けれど族長、俺のことなど、忘れて下さるものならその方がいいのだが、あなたは決して忘れぬだろう。全てを自分の責とするあなたは。
だから、だから、これだけは覚えておいて欲しい…。


 最後の疾走が、もう間近だった。
 大きな波の予兆が、遠い水平線の向こう、白い波頭のように泡立つ。波頭はしだいに大きく高まり、二人を飲み込んだ。――――――――それに続く甘い失墜。

 

 均整の取れた胸が上下するのを見守っていると、収まり行く息遣いの後には、静寂が訪れた。

 

 

 

「族長…」
 腕の中に抱いた人に呼びかけると、うっすらとアラゴルンが目を開いた。
「族長、俺を哀れまないでください。これは、強がりじゃない。どうか、覚えておいてください。俺はいつ死のうとも、中つ国で一番幸せな男だったと」
 ハルバラドが、アラゴルンの眼差しを捕らえた。
「あなたに出会い、あなたを慕い、あなたを愛した。幸せの価値は長さじゃない。俺ほど、深い幸せを味わった男はいないと思う。何故だと思います?
「あなたを愛したからです。北の守りをしながら、寒さの厳しい折、良くあなたを想った。あなたを想うだけで、俺の心は暖かくなった。俺はあの人を愛しているんだと」
 アラゴルンが、哀しげに囁いた。
「おまえは、馬鹿だな…。よりによって、私のような者を慕うなど」
 ハルバラドはアラゴルンの手を取ると、その指に口接けをして目を閉じた。
「ええ、馬鹿です。幸福な大馬鹿者です。何度生まれ変わろうと、俺はこの人生を選んでみせます。あなたに仕え、一生片恋を抱く、この至福の人生を。たとえ、一度も触れることが叶わぬ運命だろうと」
 言いながら、ハルバラドが抱きしめると、アラゴルンも腕を回してそっと抱擁を返した。
 
 抱きあう二人に、やがて恩寵のように安らかな眠りが訪れた。

 

 

 

ハルバラドを目覚めさせたのは、夢だった。
 雪が舞い散る夢。


―――――――俺は、北の夢を見ているのか…?
半覚醒した頭でぼんやり考えていると、自分が目を開いている事に気が付いた。窓の外、薄青い夜明け前の空に、瞬く星が見える。
 途端に、雪と見えたものは花吹雪となって彼を取り巻いた。ハルバラドが身を起こすと、舞い散る花びらの向こうに立つ人影が、ゆっくりこちらを振り向いた。


―――――――これは、予兆か…………!


 花びらが、降りしきる。はらはらと、風に舞いながら。これは、白の木だ…!

 ああ俺には見える。花咲く白の木の前に立つ人が。翼のある冠を額に置き、ゴンドールの装束を着て佇むあなたが。では、この戦は勝利に終わり、ゴンドールに王が還るのか。俺が愛した人が、王に。
 俺の族長が――― !


知らず、涙がとめどもなく流れた。

 

「ハルバラド…」
 傍らのアラゴルンが身を起こし、そっと部下に呼びかけた・B心配そうな顔で。ハルバラドは涙を拭うと、大きく笑顔を返し、驚くアラゴルンに口接けをした。

 

「もう一度、抱きたい」
「おまえときたら…」
 ハルバラドの臆面も無い申し出に、心配した自分への照れ隠しにアラゴルンが皮肉った。
「あきれるくらいタフだな…!」
「お忘れのようですが、あなたに比べれば、俺は今だってほんの若造なんですよ」
 洒脱に切り返したハルバラドの顔を見つめ、アラゴルンが溜息と共に呟いた。
「本当に時間が過ぎたんだな…。若造扱いされるのを、あんなに嫌っていたおまえが」
 ハルバラドが、光が滲むように微笑んだ。彼はアラゴルンを抱き寄せると、その肩に顔を埋めた。

 

「若造ですよ、今だって…。あなたの前では、ほんの若造です。あなたに追い付きたいと、狂おしくそれだけを願う…」

 


NEXT

 

書いている時、エロレートを散々悩んで、何度も書き直したシーンでした。
最終的にエロレートはすごく低いものになりましたが、
いただいた感想の殆どが、ハルさんにとって、族長を抱けたことは何よりだけど、族長が王になる予見を見られたことこそが、何よりの手向けの花なのではと、多くの方から同様のありがたい感想をいただいたシーンでもあります。



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