**星を仰ぎて  プロローグ


 


声を聞いた。ずっと待っていた声だ。自分を呼ぶ声。
「我が同胞よ、時が来た。我が元へ来たれ」と。


 それは、冷たく澄んだ大気に白い風花が舞う、寒さの厳しい日だった。その日、ホビット庄の庄境警護の任に当たっていたハルバラドは、北の野伏の長であり、エレンディルの後継者でもあるアラゴルンが、同族へ呼びかける声を心の中に受け取った。
 すぐさまドゥネダインの里へ引き返し、各所へ散らばる野伏達を呼び集める手配をしているところへ、エルフの伝令が訪れた。
「エルロンド卿からの伝言です。途中、必ず裂け谷に寄るようにと」
 伝令はそれしか言わなかったが、ハルバラドは即座に理解した。では、未来を見透かす目を持つエルフ族も、同胞を呼ぶ族長の声を聞いたのだと。
 いよいよ時が来たのだ。暗黒は力を増している。黒い風雲が近づくように、大きな戦が、もうそこまで迫っている。

 

――――――時が来た。あの人が俺を呼んでいる。

 

 

昔、あの人は、まだ若造だった俺を「おまえこそが、自分がヴァラールから授かった希望だ」と言ってくれた。あれから、幾たりの月日が流れたことか。「おまえは、激しく憎み、激しく愛する。それは長命のドゥネダインには、珍しい資質なのだ」とも。
 あの時、俺はそれが何を意味しているのか分からなかった。でも、数多の戦を経た今、あの言葉の真意が俺には分かる。
 激しい戦のさなか、矢は尽き、盾は砕け、剣は折れ、全ての希望も体力も尽き果てた時、己を支えるのは、この中つ国を踏みにじる敵への憎しみであり、守らねばならぬ者への愛だ。
――・\・\――俺の血はまだ熱いか。
 己に問いかけ、ハルバラドは自分の節くれだった手を見つめた。
 歳月が流れた。もう俺だとて、血気盛んな若者ではない。王統につらなるがゆえ、更なる長命をヴァラールから約束されている族長と並び立てば、自分の方がよほど年上に見えるに違いない。だが。
 彼は己の手を握り締めた。
 だが、この血は熱い。族長からの呼び声を受け取った時に、この身を駆け抜けた歓喜。あの人が俺を呼んでいる。この時を待っていた。時折、旅の仲間達の情報を受け取りながら、何度、この北の守りの任を放り投げ、お傍に駆け付けたいと願ったことか!

 

 里の入り口に、自分と共に赴く者達が既に整列していた。率いるドゥネダインは、わずか30名。急遽呼び集められたのは、この数のみ。ヌメノールの血は衰え、同胞はごく僅か。だが、いずれも巌のごとく鍛え抜かれた、歴戦の強者ばかり。皆、質素な黒ずくめの服に身を包み、静かに佇んでいる。
 その顔を見渡して、ハルバラドが馬に跨ろうとした時、長老が進み出た。その手には、黒く磨きこまれたレベスロンの木で作られた箱があった。長老はその蓋を開けると、放射状に光を放つ星を型どった、銀のブローチをひとつ取り出し、掲げてみせた。
「この星の来歴は失われて久しい。ドゥネダインの星という名が残っているのみ」
「その星は…」
 ハルバラドは、それを見た事があった。族長が名を隠し、ロハーンとゴンドールに仕官していた時代、身に帯びていたもの同じ形であった。あれよりも、少し小ぶりな気もしたが。
 不思議そうに見つめるハルバラドに、長老が微笑んだ。
「そなたの記憶違いではない。族長が身に帯びておられたものと、同じ意匠だ。確かな事は伝わっていないが、北方王国の最後の王、アルヴェドゥイに仕えた予言者マルベスが、理由は云わず同じ物を幾つか作らせたも云われている。その数は、丁度、今のそなた達の頭数と同じ。これは符丁であり、予兆でもある」
 長老が、厳かに告げた。
「北の王国が滅びてより、およそ一千年。我ら北方ドゥネダインは、常に陰の存在に徹し、出自を明かすことなく中つ国の平和を支えることを責務としてきた。だが、時は満ちた。戦に赴く時にはこれを身に帯びよ。徽章の代わりに。エレンディルの後継者、アラゴルン二世の配下である証に」
 ハルバラドは大きく頷く・ニ、レベスロンの木箱を受け取った。戦に赴かぬ少年の一人が、進み出てその箱をハルバラドの馬の鞍に括り付けた。
 馬に跨ると、ハルバラドは馬首を南へと巡らし、一声叫んだ。
「まずは、裂け谷に向う。その後、目指すはローハン。族長の下へ!」
「族長の下へ!」  

 

 

 


 そして、我らは再び逢いまみえた。
 春まだ浅きローハンにて。
「これは望外の喜びだ!」
 そういって、あの人は俺を迎えてくれた。抱擁と共に。
 奇跡のような勝利を収めたヘルム渓谷での戦から、わずか3日後のことであった。

 


 



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・「星を仰ぎて」は、オフ本の書き下ろしとして発表したものです。既に本で読んでくださった方にも、サイト掲載で二度楽しんでいただけるように、注釈を兼ねた裏話コーナーを設けてみました。
 指輪世界を深く読み込んでいらっしゃる方には、にやにやしながら、映画だけの方には、ちょっぴりへぇ〜と思っていただけたらいいなと。
興味がございましたら、どぞ。↓

プロローグの裏話 「ドゥネダインの星」にまつわる2、3の事柄<別窓で開きます>

 

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