**誓いてし scene10  最終話 誓言

 



 血のような夕日が、空を赤々と染めていた。沈む太陽が、ハルバラドを照らす。照り映える残照に、何もかも赤く染まる。 



 灰色のイスタリとの合流地点は、もうすぐだ。たぶん明日には着くだろう。
 明日になれば…。
  夕焼けを見ながら、ハルバラドはぼんやりと考えていた。


 明日になれば、また族長と副官の仲に逆戻りだ。

 その自分の考えに、自虐的な笑いが込み上げてきた。逆戻りとは!自惚れも甚だしい。俺たちの仲は何一つ進展していない。俺が一方的に求め、あの人が罪悪感から己の身を差し出している、それだけだ。そもそもあの人が俺に罪悪感を感じる云われなどないというのに。
 



 さっき、またあの人を抱いた。疲れ果て、もう呻き声すら出さぬあの人を。
 

------------愛していた。
 本当に愛していたんですよ、アラゴルン。信じてもらえないかもしれませんが。
 何故こんな事になってしまったのか、今でもどうしても分からないんです。
 俺は、何を間違えたんでしょうか。
 貴方の苦しむ姿を見るくらいなら、自分の腕を切り落とした方がましだと思っていたのに。
 その心を、あの闇の森のどこかに置き忘れてきてしまったのでしょうか。
 もう、探しに戻っても見つからないような気がするんです。欲望に盲しいた俺の目には。
 
 
 俺という存在の醜さ、卑小で、そして…。



 俺が夕焼けに向かって一歩足を踏み出した時だった。
「ハルバラド」
後ろから誰かが俺を呼んだ。が、俺は構わず前に進んだ。
「ハルバラド!」
再び声がしたが、俺はその声を振り払うように走り出した。
「やめろ…!」
叫びながら、アラゴルンが俺の身体を抱きすくめるように体当たりして、俺たちは、渓谷に張り出した崖の端ぎりぎりで二人とも地面に倒れこんだ。




「何故止めるんだ!?あなたにとっては、いい厄介払いのはずだ!」
  振り払おうともがく俺を、族長が必死に押さえつける。
「わたしが、いつお前を厄介者だと云った!?」
「俺はあなたに勝手に恋をし、その身体をむさぼるケダモノですよ!」
「死んではならぬ!」
「また命令ですか」
せせら笑うようにハルバラドが云った。なんだかもう開き直った気分で、当り散らすように言葉が勝手に口をついて出てくる。
「お生憎さま、あなたは以前俺に恋心を抱いてはならぬとおっしゃった。でもこの不肖の部下はその命令に従えず、挙句の果てに、恋心は邪恋へと変わりこの様だ。この先も良くなる兆しはいっこうにありはしない。だから、俺はこれ以上俺があなたに何かしでかす前に、せめて自分でけじめをつけたいんですがね。」



「死ぬくらいなら、わたしを抱くがいい。いつでも、お前の求めに応じる」
この言葉にハルバラドは激昂した。
「あなたは!ご自分の身体を、野良犬に骨の残りかすをやるように投げ与える!」
ハルバラドがひときわ大きな声で叫んだ。
「何故…何故です!?あなたの心は俺には無い、なのに何故俺に抱かれるんだ、何故俺に身体を差し出すんだ!?」
「おまえが、大切だからだ…、ハルバラド」
静かな、声だった。 





 ああ、きれいだな…。俺のすぐそばにあるアラゴルンの瞳から、残照を反射してきらめく光が溢れて流れ、俺の頬に零れ落ちる。きれいな目だな…。きれいな涙だ。どうして泣いてくださるんですか?あなたを困らせ、あなたを汚した。汚れた手と汚れた言葉で。そんなどうしようもない俺の為に。
「ハルバラド」
族長が俺を抱きしめる。
「わたしは、おまえに何もやれぬ。心も命も、わたしは自分自身のものを何一つ持ってはいない。わたしの母は、かつて、『すべての希望をドゥネダインに与え、自分の為には何一つ残さなかった』と云った。もしもわたしが世界の希望だというのなら、わたしはそうあらねばならぬ。」
 ああ、知っています。俺は父からその話を聞いたとき、あなたの運命の重さに、胸を締め付けられる思いがした。だから、だから俺はあなたの重荷を少しでも、少しでも肩代わり出来るようになろうと、そう思い、そう心に決め、それなのに、それなのに。
「おまえの気持ちに気が付いていたのに、わたしはずっと見ないふりをしていた」
どうか泣かないでください、お願いです。それはあなたの罪ではありません。ただ俺の未熟さゆえに。


「ハルバラド、我が同胞、我が片腕、我が血族の弟よ。」
俺の顔を両手ではさんで、しっかり目を捉えながら、一語一語、俺の耳に届くようアラゴルンが俺を呼ぶ。
「死んではならぬ」
懇願するように彼が云う。
「頼む、死んではならぬ」
そして、今一度さらに強く俺を抱きしめると哀願するように云った。
「死ぬな、わたしの為に、生きてくれ」



 俺の喉元に熱い塊が込上げてきた。
「俺には…、そんな資格はありません!」
 泣くな、ハルバラド!地面を睨み付けて俺は自分を叱咤した。
 泣くな!おまえには、自分を哀れむ価値さえ、最早ない。
 
 なのに、そんな俺を抱きしめて、族長が俺に優しく語りかける。
「ハルバラド、何故まだ年若いおまえを副官に任命したと思う。おまえの血は熱く、おまえは激しく憎み、激しく愛する。
 長命のサガゆえに、冷静に義務を全うするドゥネダインには、それは珍しい資質なんだ。
 わたしが、自分を虚しい者と呼んだのを覚えているか?
 わたしは、義務感と責任感と、イシルドゥアの行いへの贖罪に押しつぶされそうになり、世界への負債を返す為に必死になっている愚か者にすぎない。
 だが、おまえは愛する事を知っている」
「俺の愛は、薄汚い愛欲です!あなたを、あなたを汚した!」
「おまえがわたしに求めたのは愛だ。躰を重ねながら、必死に懇願したのは愛だ。それが、おまえにとって一番大事な事だから」



 俺は、顔を上げて族長を見た。深い湖を連想させる青・D色の瞳に、優しさと哀しさを湛え、俺を救おうと、必死に言葉を紡ぐ人を。
 
 美しい人。なんて美しいんだろう。その孤高の存在が、その高潔な魂が、その強さが、その自分を飾らぬ潔さが、内側から照り映える。
 こんな美しい人を俺は知らない。
 こんな美しい存在を俺は知らない。
 どうして、この人を汚すことが出来たのか。




 気が付くと、俺の頬を涙が流れていた。熱い涙がぽたぽたと、凍て付いていたはずの俺の心が、この美しい人の心に触れて、血の通った涙を流した。
「…どうか、どうかお許しください!」
「おまえが謝ることなど何もない。許しを請うのはわたしだ。やれるものなら、何だっておまえにやりたかった、何も持っていないのに。そうやって、おまえを追い詰めたのはわたしだ」
俺は必死で頭を振った。
「いいえ、いいえ!」
「わたしは、おまえに何もやれぬ。それでも、もしわたしを恋いうるのなら、わたしのために生きてくれぬか」
 あなたの為に、生きていいのですか?本当に?こんな俺でも、生きていていいのですか?

 アラゴルンが、俺を再び胸に抱きしめた。兄のように、父のように。
「ハルバラド、衰えていくヌメノールの血筋の中に、熱い血を持つおまえこそは、わたしがヴァラールから授かった希望なんだ。頼む、わたしを置いて逝くな…」
 そして俺も抱きしめた。細い肩持つこの人を、初めて、欲望でなく慰撫する為に。



********

 夕焼けがゆっくり去っていくと、きらめく星が夜空を埋め尽くした。
 その夜は、二人とも、もう殆ど言葉を交わさなかった。ただ、強く暖かい絆が二人を繋いでいた。躰を繋いでも、決して得られなかった絆が。
 アラゴルンが自分の寝場所で静かに寝息を立て始めるのを確認すると、ハルバラドはそっと身を起こした。そして、西に張り出した崖へ、今日、命を捨てようとした場所へ音を立てずに歩み、跪いて天を仰いだ。

「大海の西の彼方におわしますヴァラールよ。中つ国を作りたまいし全ての神々、ヴァラールよ。ヌメノールの血を引く我が誓いをお受け取りください。」
祈りの言葉を、ハルバラドは呟いた。

「わたし、ハルバラドはここに誓います。今日、ここでわたしは死に、そして生まれ変わりました。あの方に尽くす為に。命尽きるまで、全てを捧げてこの方に尽くします。」
 かつて雨の降りしきる中で同じことを誓ったことを、ハルバラドは思い出した。だが、あの時の激情はなく、今はただ静かで、そして厳かだった。
「あの方からは、何ひとつ望みません。わたしは、あの方を愛し、守り、仕え、あの方の幸せだけを我が喜びといたします。そして…」
言葉を切ると、彼はそっと言い添えた。
「わたしがこの誓いを守り抜いたあかつきには、ヴァラールよ、どうぞ、恩寵を持って、この命をお受け取りください」
誓い終わると、ハルバラドは静かに目を閉じた。

 不意に、ハルバラドの心を幸福が満たした。目の眩むような幸福感が訪れ、ハルバラドを圧倒した。
−−−−−−−俺は出来る。今度こそ、この誓いを守り通せる。

 確かな、確信がハルバラドを満たした。



 幸せだった。
 真に人を愛するというのが、こんなに幸せなことだったとは。自分はアラゴルンに愛をせがんで泣きわめく子供のようなものだったのだと、今なら分かる。

−−−−−−−ヴァラールよ、どうかお見届けあれ。我が誓言を。




 ハルバラドは、幸福だった。 





かくして、ヴァラールはこの誓いを受け取り、来る指輪戦争にて、ハルバラドの誓言をは成就するのである。




17.08.2004 BGM/Parsifal:Prelude to Act 1

back

 

>>LOTR topへ戻る