残響


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押し寄せる人々の間を数騎の馬がゆっくりと進んでいく。

人々はその一番先頭をゆく馬上の人に向かい明るい呼び声を向ける。馬上の人、すなわちこの白の都の主、エルフの石エレスサール王に。
王はにこやかに民衆の声に応え手を振っているが、その斜め横に轡を勧めるイシリアン公であり執政であるファラミアは気が気ではない心持でその様子を視界に入れていた。
決して馬からは下りぬように念を押していたが、あのいささか型にはまらないところのある王が、今にも馬上からひらりと飛び降りてしまいそうに見えるからだ。
ただ視察に出た帰り道だというのに、いちいちこうやって帰城を遅くしていてはたまらない。
民と触れ合うことを大切にするというのは施政者として大切なことではあるだろうが、ご予定に差し障りが出るということを理解していただきたいものだ。

そんなことを考えていたファラミアだったが、だがふと王の纏う気配が変わったように思えて身構えた。

それは一瞬、ほんの微かな変化であった。
王は僅かに瞠目し、身体を固くして民衆たちの一点を見つめたようであった。その横顔は確かに驚愕と、そしてまるで怯えのような色。
その唇がなにか音にならない何かの言葉を紡ぐ。
刹那何かを追うように彷徨った王の視線はだがすぐに我に返ったように定まり、周りを囲む民たちも王の変化に気付いたものはいないだろう。
しかしファラミアは王の視線が向かった先を、鋭い眼差しで見つめたのであった。




      + + +



――まただ

その灰色の眼差しはどこか心ここに在らずといった風情で、窓の外を見遣る王の姿はどこか頼りなげに思え、ファラミアはその横顔を見遣る。

ここのところこういったことが増えた。いや、正確にはあの視察より帰ってきた日からだ。
ふとしたおり、何かを思案するように伏せられる視線。遥か微かな何かを聞こうとでもしているような遠い瞳。
こうして近くにいるのに、その存在を探してしまいたくなる一瞬。

それがもう一週間も続いているのだ。王の側近、政務を支える執政としては看過することはできない。
それに、あの時王が紡いだ言葉。
声は届くことはなかったが、側近くあったファラミアには王の唇がなんと刻んだのかわかった。

――それは一つの名であるかのようだった。

一体王は人々の間に何を見出したのか。

「陛下」
短く呼びかけると、王は我に返ったようにこちらを認め、そして気まずげに微笑った。
「すこしぼんやりしてしまったようだ」
すぐにこちらの書類は片付くから。とペンを握りなおすのを留める。
「何か気になることがあおりですか」
間髪入れず続ける。
「先日の視察からの帰路。何か、いや、どなたか見かけられたのですか」
正面から問う。こういう場合、遠回りに尋ねてもはぐらかされるだけだろうことぐらいは分かるからだ。
王が僅かに視線を揺らすのを認めながら、なんでもない顔を作りそれが当然のように進言する。
「陛下がそれほど気にされる者であるならば、調べさせますが」
王は片手を上げ遮る。
「いや、すまない。要らぬ心配をかけてしまったか」
下ろした左手は右手を握る、まるで何かを押しとどめるように。
「北のドゥネダインの一人を見たように思ったのだ、ただ、ここにいるはずはなかったので、少し驚いたのだよ」

「ハルバラド、殿。ですか」

その名を口にした。

はっきりと王の表情が固まったことが伝わるのに密かに目を細める。
「王があのときそのように呼んでいらしたと思ったのです」
「そうか……?」
詰めた息を吐くように否定する王の姿に、真っ直ぐに正面から見つめる。
「その名には聞き覚えがあります。
 ――確か、陛下の副官を務めていらした方で」
「見間違いだ。……あいつは……」
緩く首を振り押し出される声を遮り引き継ぐ。
「ペレンノールの戦いの際、討死された……」
「そうだ。私はあいつが掲げ守っていた王旗を受け取った」
王の声に、眼差しに、紛れもない痛みが交ざる。
普段己の感情を、それも負の感情を表に出さない、出して下さらない方が。
「ですが、彼のご遺体を見たわけではないのですね」
この話はもうやめよう。と緩く頭を振る王にそれでもファラミアは言葉を続けた。
「そして陛下は彼だと思った」
そしてその思いを捨てきれない。

「ファラミア……」
「はっきり、させようとお思いにならないのですか」
「なぜそのようなことを言う」

「私も同じだからです」
ボロミア。輝かしき執政家の長子の名を挙げる。
手元に返ってきたのは角笛だけだった、だからいまだに心のどこかではその死を認めたくない自分がいて、時折湖底の底から湧き上る泡のように表面に浮かび上がって苦しみを生む。
もし今、ボロミアの姿が目の前に現れたら、信じたい気持ちと信じられない気持ちがこの身を苛み、きっと動けなくなってしまうだろうと。

だが、この方はそれでは許されないのだ。ゴンドール・アルノール統一されし王国を総べる王がそのようなものに惑わされては。
酷いことを言っていると分かっていても、王たる方には全てを踏み越えて進んでいただかなくてはならない。

死者を生者の中に見間違う。その心が王たる者の弱さになってはならないのだ。

「分かった、ファラミア」
王は大きく息を付くと、ファラミアを真っ直ぐに見つめる。
「この話は終わりだ。この先政務に支障をきたすこともしない。約束しよう」
だからあなたもこの件についてはもう忘れてくれ。
それから。と一端言葉を切る。静かな灰色の眼差し、声。
「あなたの心の傷までも晒させてしまったこと、ゆるしてくれ」

そしてその言葉通り、普段と全く変わりのない様子で、政務に取り掛かり始めたのであった。



       + + +



夕刻の、人々が行きかう街の雑踏の中、フードを深く被ったファラミアはとある建物の前にいた。
それはなんの変哲もない、大きくもない宿屋の一軒で、少しある特徴と言えば、昼時になると店の前に庇を張り軽い食事をその場で提供しているということくらいの、この街のどこにでもあるような店だ。
だがファラミアはこの宿屋がそれだけの目的でここに在るのではないことを知っていた。

ここは、北のドゥネダイン達が拠点の一つ。

もちろん王の直轄地であるアルノールだ。この白の都にはれっきとした官邸があり、かの地の統治に関係する者たちにはそこで政務に当たっている。
――ここにいる者たちは、もっと密やかなる者なのだ。
このゴンドールがかつて王無き王国であった時よりこの地に身を潜め、溶け込ませ、動いてきた者達。
ファラミアは一つ息を吸うと、その扉を開いた。



宿屋の一階は例に漏れず酒場である、混んでいるという程ではないがそこそこに客の入りはあるようだ。
カウンター席の隅に腰を下ろし、フードを取り払い一杯のエールを注文する。カウンターの中にいた中年の男はちらりとファラミアの顔を見たようであったが、そのまま振り返りエールを木のジョッキに並々と注ぎ、ファラミアの前に置いた。

「この店の主人か」
男に声をかけると、そうですが。と頷く男。
「人を探しているのだが」
ファラミアは何気ない風を装いながらその問いを向けた。
「ハルバラドという男を知らないか」
男は再びファラミアの顔を見ると、さあ。と肩を竦める。
「この店に来るお方すべての名前を知ってる訳でもないので」
「そうか?」
ファラミアは強く男の目を見据える。
恰幅が良く、いかにも酒場の主人と言った感であったが、その愛想笑いを浮かべる目は良く見れば油断できない光が隠されている。
「北のドゥネダインの副族長、ハルバラドだ」
「そう言われましても」
だが男の眼が微かに揺れたのを見逃さなかった。
「そなたも北のドゥネダインの一人であろう。その名を知らぬはずはない」

――男の顔から笑みが消えた。
「……それで、イシリアン大公にして白の都の執政ファラミア公におかれましては、一体何をお知りになりたいというのか」
やはり分かっていたか。とファアミアはその言葉を向けた。
「ハルバラド殿にお会いしたい」

ご存じだと思いますが。と男は言葉を切った。
「先の大戦でお亡くなりになられたと」
……そうです。
男は視線を下げるが、ファラミアの視線は動かない。
「私がなぜここに来たと思う。そのような言葉を聞く為ではない」
「ではどのような話を。わたしなどに聞くより、その人物のことを誰よりも良く知っている方が貴方の傍におられるはずだ」
主の声に固さが含まれる。これは拒絶なのだろうが、最初から想定してのことだ。
「私は思い出話を聞きたいのではない。言ったであろう、彼に会わせてほしい」
「公……」
堂々巡りに陥りそうになった時だ。別の男の声が二人の間に割って入ってきた。

「そろそろ営業妨害になりそうなんで、止めてもらえませんかね」

ファラミアはいつの間にか己の傍らに立っていた男をハッとふり仰いだ。この雑多な店の中、主人との会話に気を取られていたとはいえ、気配には敏感だと自負する自分がこれほどまでに近くに寄られて気が付かなかったとは。
そこには頬から目元にかけて走る大きな傷が目立つ男が立っていた。店の用心棒といったところか。だが不思議と粗暴さを感じないのは、灰色の目のひどく落ち着いた色の持つ不思議な気配のせいかもしれない。

「すまなかった」
ファラミアは素直に謝罪を向けると手元に置かれていたビールを一気に呷り、代金を置くと席を立つ。
「また来る」
主人たちが何かを言う前に背を向け、殊更ゆったりとした足取りで出口へと向かう。少しの隙も見せたくはなかったからだ。


店から出ると、夜のひやりとした空気に詰めていた息を一つ吐く。

こんなところにまで来て何をしているのだろうと思う。
あれから王は言葉通り、何かに惑うような様子は見せることはなくなった。
だが王が平静通りであればあるほど、何か胸の奥がささくれ立ったような違和感が増していったのだ。
その感情を言葉にしてみてファラミアは顔を顰めた。それはおそらく王に対しての不信という単語であったからだ。
自分に向ける顔はいつも通りであるのに、心の中ではまだあの眼差しを向けた男の事を想っているのではないかと。

――想うことを咎めたのは己自身であったというのに

だからだ。この件をはっきりさせなければ己も王もしこりを抱いたままだと、そう思うからだと結論付け、心を決めたのであった。



       + + +



それからファラミアは宣言通りほとんど毎日のようにその店に通い始めた。一杯の酒と少しの肴を頼んで飲んで、そして帰ってゆく。
店の主人にもう何かを問うことはなく、店の者もファラミアのことを邪魔しようという様子はなかった。
ただ時折一言二言言葉を交わした。店の主人だったり用心棒の男とだったりと。
そしてやがて口を閉ざすと席を立つ。

そんなことが二週間も続こうかという日だ。店の主人がファラミアの前に頼んでいない二杯目の酒を置いた。
視線を上げるファラミアに、苦いものを含んだような主人の声が向けられる。

「何を待っているのか知りませんが、あなたはこんなところにいていいお人ではないでしょう」
それを飲んだら、もう来ないでくれませんかね。
だがファラミアは目を伏せただけだ。
「私の求めていることが分かるまでそれは無理だ」
主人はため息をついた。
「副族長のことですか。大体なぜ、副族長が生きてるなんて思ったんです?」

「あの方が……」
ぽろりと零れるように落ちた呼称に主人の目が僅かに険しく細められる。
「あの方。……王がそう言ったんですか?副族長が生きていると?」
そうではない。
ファラミアは緩くかぶりを振る。
「言わないからだ」
「訳がわかりませんな」
一瞬男を包んだどこか険しい気配は霧散する。彼は酒場の主人そのもののような笑みをファラミアに向ける。
「そもそも副族長が生きているならば、それをあの方が知らぬはずないではないですか」
「そう、そうだ。だが――」
誰かを求めるように人々の間を彷徨った視線。横顔。
あの王の姿が目蓋に焼き付いて離れない。
「あの方はきっと、ハルバラド殿が生きていることを知っている」
「知っている。ですか――」
主人の眼差しが揺れた気がした。

「今日も来てたんだな」

そこにかけられた声は、ここしばらくで覚えてしまった男の声だ。
「えーと、イシリアン大公?それとも執政様?」
「ファラミアでいい」
こんな場所でそのような呼び方はしないでくれ。と言えば、「じゃあファラミア殿」と男の持つ精悍さとは遠い軽やかさのある声の響きになぜかファラミアは既視感のようなモノを覚えて眉を顰めた。
それをやはりまずかったのかと口にする男に、そうではない。と返す。

「どうだ。ここしばらく通ってくれたあんたはもうこの店の常連だ。奥で少しゆっくりと飲みなおさないか」
主人が男にどこか驚いたような視線を送るのを視界の端に捉えながら、ファラミアはその誘いに頷きを返したのだった。



       + + +



店の奥まった場所に区切られた個室に近いこの場所は、ちょうど他からは見えない位置にある。
ここで一体どんな密談を繰り広げているのか。

頬に傷のある男は左手に持っていた酒瓶とゴブレット、右手に持っていた皿をテーブルの上に置くと、さっさと椅子を引き腰を下し、酒瓶のコルクを抜いた。
ゴブレットに注がれるのは深い赤みを帯びた葡萄酒。ファラミアに視線で座るように促しながら、男はゴブレットの一つをファラミアの前に置く。


ファラミアは改めてこの用心棒だと思われる男を見遣った。やはり目を引くのは左の頬に奔る大きな傷だ。だがその傷は不思議と醜さを感じさせず、男の持つ精悍さにひどく合っていた。
背は高く、真っ直ぐに近いが荒れて艶のない黒髪を無造作に後ろで束ねており、目は濃い灰色。
年齢は自分よりは上であるだろうか。はっきりとわからない。荒野の風に晒された木や岩のような男だ。
確かに北のドゥネダインの特徴を濃く表している。
今はゴンドールの王となった方とどこか似た空気。だから初めて会ったとき不思議な気配をしていると感じながらも警戒心を抱かなかったのか。
あの方に似た気配であったから。

――と、不意にその可能性に息を止めた。

まさか。と、

「貴殿が、ハルバラド、殿か――?」
座りかけていた椅子を蹴り倒す勢いで身を乗り出せば、男は肩を竦め、酒を喉に流し込む。
「俺は貴殿なんて呼ばれるような人間ではないし、ドゥネダインの副族長なんかでもねえよ」
「ではそなたは何者だ」
先ほどの店の主人の態度、驚きと、本当にいいのかと言う様に窺うようにこの男に向けられた視線。
だが、
「別に何者でもないさ」
名乗る事すらせず、男は逆にファラミアにどこか感情の読み取り難い視線を向ける。探りを入れてきているのか、突き放しているのか。

「それを聞きたいのはこっちだ」
男の眼差しに一瞬鋭い光が過った。
「ここにいるあんたはゴンドールの政を取り仕切る執政か?それとも国の有力貴族か?
さっきの話じゃないが、あんたのような立場の人間が正直毎日のようにここに来るのは大変だろうに」

「……言ったはずだ」
何の動きも見せない男の姿にファラミアは椅子に腰かけなおすと、手元にあるゴブレットを一気に呷った。
確かにこの店に通うのに相当に無理を通している。仕事を滞らせるつもりはないが、そろそろ周りが不審に思い始めている。それは引いてはいずれ王にも知れるということで、それだけは避けなければならないのに。
手にしたのは銀製の杯で、毒など入っていないと示そうとしたのかもしれないが、そんなことは頭になく口にしていた。そしてようやく先ほどの問いに答える。
「私はただのファラミア、それ以上でもそれ以下でもない」
そうして、乱暴にゴブレットをテーブルに叩き付けるように置く。
「じゃあ、そのただのファラミア殿が、なぜ死んだ男を気にする」
その問いはファラミアの言葉を詰まらせる、テーブルの上で握り締めた手は爪が食い込み白くなっているのが目に入るが、力を抜くことが出来ない。
その様子にだろう、男が一つ息を付くと空になったファラミアの杯に再び葡萄酒を満たす。
「こう言ってはなんだが、例え俺があんたが探している男だとしてもこう言うだろうな」
――生きていたとして、あんたに何の関係があるんだ――
と。


酒瓶を置いた男の眼は探るようにこちらを見る。
執政でもイシリアン領主でもないなら、一体どのような想いでこの場にいるのかと。
それを形に、言葉に出来ないからこそだと言って、この男は納得するのだろうか。
代りに口から出た言葉は、我ながらお粗末なものであった。
「では、私がこの国の政務を預かる者としてここにいるのであれば、答えは違うのか?」
男の眼から色が消えた。それを言う必要があるのか。と
「イシリアン公、フーリンの子執政の杖持つファラミア殿は、賢明にして篤実。隙一つない能吏だと聞いていたが」
そう在れればいい。と願ったことならば数えきれぬほどある。
「揶揄するのは止めろ」
ファラミアは男の顔を睨みつける。
「そなたが何を言わせたいのかは分かる。確かに、ハルバラドという人物は死んでくれていたほうが都合がよい」
男の口の端に微かに笑みが刻まれる。まるで出来の悪い生徒にでもなった気分だ。

あの戦争の後、北のドゥネダイン達の多くはそのまま北の地に残った。
王国が復興した今、王の一族の者として宮廷で高い地位につくことも可能だと言うのに王は彼らを宮廷内の重職に付けることはしなかった。新王国の朝廷は主にゴンドールの人間で固められ、ドゥネダイン達は貴族ではなくただ王の騎士として北の地で働いているのだ。
それでもいまだにゴンドールの貴族の中には、いずれ王は故郷の者達を重用し、自分たちの地位が脅かされるのではないかと疑っている者達がいる。

王の取られた決断は宮廷内での無用な諍いを避けるためには最善の行動であったのだろう。
しかし、ハルバラドという者は別だ。ゴンドール・アルノールの統一されし王国の王、エレスサールのかつての副官、右腕でもあった程の者でもあり、アルノールの王族の末裔の中で高い地位を占めていた者。そんな人間を登用しない方がおかしい。民たちにすらあらぬ陰謀の影を詮索されるはずだ。

彼には今のファラミアと同等の地位と権力が与えられて当然なのだ。
だがそれこそ宮廷内の均衡を危うくするもの。

「だから、かつてのドゥネダインの副長を探し出し、抹殺でもしようと私が考えているとでも?」
嫌味を抑えられず口にすれば、いや。と男は首を振る。
「さっき言っただろ。有能な執政殿だからな、きっと都合がよいままにするだろうさ」
そいつが自ら名乗り出たりさえしなければ。
「……名乗り出たりはしないのか」
言葉尻を捉えれば男は肩を竦めてみせる。
「これまでそんな事がなかったということは、あんたの懸念は杞憂なのだろう」
知らぬ存ぜぬを通すという訳だ。あまつさえ、そろそろ気が済んだかなどと腰を浮かそうとする気配だ。

――さらけ出せ――

この男はそう言っているのだ。本当にお前がただのお前としてこの場に来たのであれば、その本心を明かせと。
そうでなければこの男はこのまま姿を消し、二度と見えることはないだろう。

ファラミアの脳裏にここではないどこか遠くを見つめる王の横顔が過る。その姿はなぜか自分でも理解のできない焦燥感を生んで――
あの眼差しはきっとこの男の事を想っていた。
そう、ただ

「私はただ、あの方のあのようなお姿を見ていたくはないと、そう思っただけだ」
そうだ、それが本心だったのだ。口にしてそれを悟る。
だが男はかの人が王であるという前提でしか話をしようとしない。
「……何か政務に障りがあるということか……?」
そうではないと分かっているだろうと男を見据える。その灰色の眼の奥の男の本心を見逃すまいとして。
――さらけ出せというのならば、お前の本心も語れ。

「あの方を在り様を妨げるもの全てを私は許さないというだけだ」
「なるほど、あんたにとって、探している男は妨げというわけか」
「そなたが存在を偽るためだ」
詰るように畳みかけると男の灰色の瞳が一瞬刃のような鋭さを帯びた。
息をしているのかどうかも忘れる睨み合いにも似た時間。
だがやがてそれは男の深い長いため息で終わった。
「……それで?結局あんたはどうしたいんだ。まさか重臣として迎えたいとでも言うのか」
「それも可能だ」

男は今度こそ、自分がそうであると否定しなかった。

やはりこの男がハルバラドなのだ。

だが男は再び深いため息をついた。
「そいつは不可能だな。貴族たち、それにあんたたちの王がそれを認めないだろう。さっき自分でそういっただろう」
「――アルノールのドゥネダインよ。お前たちの王でもあるだろう」
まるで関わりのない名称のように口にされる響きに不快さを感じ眉を顰める。

その一瞬、背中を何かが奔りぬけた――殺気だ。なぜかそう思ったのは間違いではないだろう。
「多分知らないと思うけどな」
男の眼差しが先ほどの大らかさなど幻のように鋭さを孕んだ。
「俺は、あの人が王になる事なんて、ほんとは望んでなんていなかった」
「な――」
北の失われし王の血統は、王国が失われてからもその復興を悲願とし、気の遠くなる歳月を戦ってきたはずだ。
男の灰色の目は嵐の前の空のような不穏な色。
「一族の復興、雪ぐべき先祖の罪。俺たちはそれを拠り所としてきたんだろう。確かにそれも真実だ。
だがもうそれは果たされた。――そうじゃないか」
皮肉気な笑みが男の口元に浮かび、ファラミアは不快気に眉を寄せる。

この男は何を言っているのだ。

「あの人はもう、運命なんて言う責務から解き放たれたっていいはずなんだ。
 だからファラミア」
男、いやハルバラドの眼差しが鋭い鋼のような鈍色に光る。
「忠告しておいてやる。あんたが本当に優秀な臣下なら、俺をあの人に近づけるな」
声は、眼差しは、自嘲するような、そしてまるでこの国の王を憎んでもいるような。

だがこれは男の本心だと本能的に悟る。この、戦場にでもいるかのように背が粟立つ感覚がそれを告げるからだ。

「なぜだ」
長年あの方の傍近くでその悲願を、戦いを、支え続けてきた男が、なぜその未来を支えようとはしない。初めてまみえた時より王に忠誠を誓ってきたファラミアにとっては理解しがたい言葉、行動。

「理解らないほうがいい」
しかし男は首を振るだけだ。そして続けられた言葉は、まるで男はファラミアの何かを知っていて、それを制止しようと諭すような響きを持っていた。
「忠実な臣下として国を支えていきたいのであれば。
 今この国に立っているのは立派な王だろう?それでいいはずだ」
ハルバラドの真意が見えず、ファラミアは苛立つ。
「今のお前はあの方を害する存在になるとでも言うのか」
王座に在ることを良しとせずに?
挑発するつもりで口にした言葉にさえ、男は肯定を返すのだ。
「ある意味そうとも言うかもしれないな」
男は眼を細め、赤い葡萄酒に手を伸ばす。その手は筋張っており、傷だらけだった。
王と同じように。

この手が、長きに渡る戦いに身を置いてこられた王を支えてきたのか。

そんな想像が一瞬湧き上り、しかしそれに重なるように、どこか腹の底ではっきりとしない不快感が渦巻いたのを感じた。

「お前はあの方に忠誠を誓っているのではないのか」
言葉にすれば増す不快感。だがハルバラドは薄い笑みを浮かべただけだった。
「北の野伏の忠実なる副族長はもういない。抑えるもののない、ただの愚かな男がいるだけだ」
まるで脅しのような響き。

そんなはずないではないか。あれほどに求められているというのに。
人混みの中に彷徨い求める眼差し。声なくして呼ぶ名。
それを知らぬからこんなことが言えるのか。
これほどに己の心を乱しているというのに。それなのに

「では、それでも私があの方にお前の事を告げ、あの方がお前に会うことを望まれても、お前はそれを拒むのか」
拒めるのか?
「……あの人は望まねえよ」
銀杯をテーブルに置く手つきは乱暴だと言うのに男の声は静まったままだ、
「なぜそう言える」
「俺がそう望むからだ」
言い切る言葉に反論が封じられる。そのように、何もかもを分かっているような、知っているような。
――なぜ
苛立ちが募り、声に棘が混ざるのを止められない。
「あの方にあのような表情(かお)をさせておいて。よくもそのような事を」
ではなぜ今になってあの方の前に現れるような真似をしたのだ。惑わすようなことをしたのだ。
その問いに男はくしゃりと前髪を握る。確かにな。と零れた声はそれまでの壁をつくったようなものではないと、なぜかそんなことを思いながら男の言葉を待った。
「あれだけの人混みで距離もあった、おまけにこちらの人相はかなり変わっちまったはずなのに」
相変わらず、あの目敏さときたら本当にエルフ並みだ。
苦笑と言うにはあまりにも柔らかいそれに、男を取り巻いていたちりちりとした微かな険しい気配が立ち消えるのが分かった。

それほど、遠目でもいい一目姿を見たいと願うほどなのに、なぜだ。
ファラミアの中には疑問だけが降り積もってゆく。
だが口にしたのは別の問いであった。
「その傷はあの大戦で?」
頬の傷に触れるハルバラドは、まるで過去に触れているような眼差しだ。
「あの戦で傷を負わなかった者などいない」
ふと遠くを見るような眼差し。どこか遠くから聞こえる声に耳を澄ますような。

ああ、やはりこの男はあの方に似ている。

ファラミアの心に影が差す。
「あの方の傷はそなたの死だ」
お前だけがそれを癒すことが出来るのではないか。そう思うことは自分に息苦しさをもたらすようだが、この男を前にして、あの方との深いつながりを感じてしまえば認めざるをえない。

「そなたはそれ良いのか」
「いいからこうしているんだろう」
押しても手ごたえのない相手にファラミアは己に冷静になれ。と言い聞かせる。この男は何一つ己の真実を明かしていない。
いや一瞬だけ垣間見た。あの肌を焼くように感じた殺気に似たもの。あれが、この男の本当の姿だ。

「もうあの方の傍にいたくないと、そういうのか」
……あんたは。とハルバラドの声に苦さが滲む。
「俺を怒らせたいんだろうな」
ひとつため息のようなもの。
「反対だ。っても今のあんたには分からないかもしれないな。
 離れたくないからこそ、あの人の傍にはいられない」
店を照らす薄暗い灯りがハルバラドの表情の上で揺らぐ。だがハルバラドの声は平坦であり、感情が見えない。
矛盾しているというのにファラミアはそれが真実なのだろうとなぜか疑いを抱くことはなかった。
その真意を推し量ることはできないというのに、
それでも
「私にはそなたの考えは理解できない」
「そうか」
ハルバラドはもう一度呟くと、今度は正面からファラミアを見遣った。
「言っただろう。理解らない方がいいと」
それ以上語ろうとせず、重い沈黙が辺りに立ち込めた。
その沈黙と引き換えのようにこれまで耳に届かなかった店のざわめきが意識に蘇る。

「……我らは互いに理解しあえないという訳か」
ファラミアはテーブルの上に投げ出した拳を握りした。するとハルバラドはひとつ息をついて立ち上がる。
「そっちの方があんたにとっては幸せかもしれないぞ」
「待て!」
これで話は終わりだとばかりに、テーブルの上に硬貨を置き、踵を返そうとする男の姿に両腕を机に叩き付けるように立ち上がり制止する。

少しも怯んだ様子はない男はだが、足を止め残酷な視線を向けてきた

「これ以上ここにいても、あんたの望む答えは見いだせないだろう」

突き放すような、言い含めるような声はファラミアの神経を逆撫でするが、反論を口にすることは出来なかった。
唇を噛むような様子にだろう、ハルバラドは微かに目を細めた。
「どうしてここに来たのかもわからないのに、自分がどうしたいのかもわからないまま彷徨っている。これ以上は堂々巡りだ。
そして俺はあんたに答えを与えてはやれない」
「……ここに来た理由ならば言ったであろう」
息を詰めながら答える。
「あの方のあのようなお姿を見ていたくはないと」
あんな、ここではないどこか彼方を見ているような。
「なぜ見ていたくないんだ」
「それは、私があの方の臣下であるから」
鋭い刃を突きつけられたように胸のどこかが痛みを訴える。
それだけか。
とハルバラドはファラミアを追い詰める。
「それだけで一人場末の酒場に誰にも告げず、いるのかもわからない男を探し通い続けたのか。それが臣下の義務なのか」
ファラミアに答えることはできなかった。それはこの二週間己に問いかけ続けたことであったから。

言い過ぎたことを悟ったように頬を掻いたハルバラドは「そうだな」一つの言葉を紡ぐ。
「これだけは言ってやれる」

――あんたが心配していることは起こらない

深く響く声にファラミアの肩が震えた。
「王はあんたの前からいなくなったりはしない。
彼はゴンドール王、エルフの石エレスサール。それを知っているはずだ」
信じろと。お前の王を信じろとこの男は言うのだ。

そんなこと分かっていると言い放ってやりたい。今あの方の誰よりも傍近くにいるのは自分なのだから。

だが言えなかった。
厳しい言葉を投げ、王として誰かを想うことを許さないと、
『ゆるしてくれ』
そんなことを言わせてしまった自分が


「……本当は、答えはもう出ているんだな」
静かな視線を感じる。その何もかもを見透かしたようなハルバラドの声に、違う。と心の中で断じるしかない。
そのような訳ないではないかと。

ハルバラドは黙ってファラミアの答えを待っているようでもあったが、やがて動かぬファラミアに静かに言葉を向ける。
「あんたにとって、その答えを認めることがいいのか、気づかないままがいいのか、俺には何も言ってやれない。
 だだいつか、あんたが答えをだして、それでも俺を探そうとしたのならば、その時は王の前にでもなんでも立ってやってもいい」
「どういう意味だ」
ハルバラドの浮かべたのは意地の悪げな笑みに似た何か。
「その時になれば分かるさ」
ファラミアは立ち尽くすようにその笑みを見遣ることしか出来ない。
するとハルバラドは、ああ。もうひとつだけ言ってやれることがあった、と振り向く背中で最後の言葉を投げた。
「あの人実はすっげえ酷い人だぜ」
気をつけることだ。
そして左手を上げるとそのまま店のざわめきの中に消えてゆく。

投げかけられた言葉の意味に一瞬戸惑い立ち尽くしたファラミアが慌て後を追うが、店の中にその姿は見いだせない。そのまま外に飛び出すものの、街頭に照らされた夜の街が続くばかりで男の姿はその夜の闇にでも溶け込んでしまったようにどこにもなく、ファラミアはその闇を見つめ続けることしか出来なかった。



       + + +



明るい陽の光が王の執務室を照らしている。

王の指示を仰がなければならない案件のため、ファラミアはその光の中に身を置いていた。
山積みの書類を前にして、執務机に視線を落とす王の髪の輪郭が茶金に縁どられている。
熱心に報告書に目を通す青灰色の瞳は浅い銀色にも思える。
こうして見れば、あの夜似ているなどと思った男とどこも似てなどいないではないか。
ファラミアは心の中でひとりごちた。
それなのになぜか胸の奥で蟠っているものを払拭できないことも分かっていた。

「どうかしたのか?」
王の声にはっと我に返る。王が気遣わしげにこちらを見ていることにも気づかなかったとは。
なんでもありません。と言いかけて、しかしその言葉を噛み殺した。

「……考えていたのです」
何をだ。と促す声に王の眼差しを正面から見つめる。少しの変化も見落とさないように。
「先日お聞きしたことです」
王の表情は変わらない。どの事か分かっているはずなのに。だから少しだけずらした話題を口にする。
「……考えたのです。もし今ボロミアが生きていることが分かって、ですが我らの前に現れようとしないならば、自分はどうするのかと」
探るように言葉を継ぐ。
「例えボロミアが私に会いたくないのだと言っても、説得してみせるのだろうと思います。彼がその様にするは、きっと他の者のことを、我らのことを想ってのことだと思うので。
 そんなことはないと、例え殴り合いになろうとも、こちらの気持ちを会って伝えます。
 自分たちにはあなたが必要なのだと」
「……そうか」
乱暴な話だというのに王の眼差しは和らぐ。その日を望むように。

「貴方様はどうなのです」
言葉の意図を悟ったのだろう、王は口を引き結んだ。
「もしも、ハルバラド殿が生きていらしたら、貴方はどうなさいますか」
「その話は終わったはずだ」
揺らがない眼差し。その奥にあるものを見出そうと眼差しに力を込める。
「ハルバラド殿が生きてこの街にいたとしたら、貴方は会いたいとはお思いにならないのでしょうか。もしも彼が何らかの事情で姿を現さないにしても、本当は貴方に会いたいと望んでいるのだとしたら、会いたいとは思わないのですか」
ファラミアは引かなかった。
頑ななファラミアにだろう、沈黙をもって答えようとしなかった王がついに重い口を開いた。
「……あいつは望まない」
「なぜですか」
「それが私の望みだからだ」
ハルバラドの言葉が蘇る。自分が望まないからだと言い切った男。

「……なぜ」
知らず拳を握りしめていた。
彼らは互いの事を知り抜いている。それなのになぜ。
「ファラミア……」
労わるような、痛みのような眼差しで王がファラミアの名を呼ぶ。
「あなたがそんな風に傷つく必要はないのだ」
その言葉でファラミアは悟った。

やはりこの方は全て分かっているのだ。

ハルバラドが本当は生きていることも、ファラミアが本当は何を求めているのかも。全て
それでも、いやだからこそ引くことなどできなかった。

『理解らないほうがいい』
あの男の傲慢な言葉が王の声に重なる。なぜ、こんなにも一人突き放されたように思ってしまうのか。

「……ファラミア」
手を、痛めてしまう。
いつの間にか席を立った王がファラミアの前に周り、その固く握りしめた手を取るとこわばった指を解くようにやんわりと握りこむ。
「なぜそこまで気にする」
この件で政務に支障をきたすことはないではないか
王の青灰色の瞳が風に波立つ水面のように揺れている。
遠まわしに明かしたくないのだとでも言われているような言葉、それはファラミアが聞きたかった言葉ではない。

「私は」
押し出されるように零れた言葉。
「私は貴方の本当の言葉をお聞きしたいのです」
真実が知りたいのです。

その時の王の表情を、なぜか驚きであると思った。実際はほんの僅かの視線の揺らぎであったのに。

貴方の本当の心を知りたいのです。

「王よ」
握られた手を握り返す。
その先に何があるのかも分からないまま、ファラミアは今、自分がこれまでとは違う一歩を踏み出したことを悟った。
王が臣下に全てを明かす必要などないことは分かっている。
それでも自分は知りたいと思ってしまったのだ、願ってしまったのだ。

長い沈黙があった。やがて王が静かに口を開く。
「……ファラミア……」
……分かった。あなたが望む答えかは分からないが。
王は、何かを思い定めたような声でそう告げた。

自分の何がこれまで決して語ろうとしなかったあの男のことを王に語らせるに至ったのかは窺い知ることは出来なかったが、ファラミアはその言葉に対して、また不可思議な衝動を覚える。
あの男の事を想う王に、理不尽な要求をしてそれを妨げたのは己だというのに。
今、己の中にあるのはおそらくは、喜びに似た感情であるのだ。



       + + +



示された長椅子に王と隣り合わせに座る。向かい合わないのは視線を合わせなくてすむからなのか、互いの間に空いた一人分の空間が今の心の距離のようだ。
王はしばらくの間言葉を探すように目を閉じ、組んだ手に額を付け俯いていたが、やがてひとつ息を吸うと、顔を上げ話し始める。
「……ハルバラド。その男の事を話すのはとても難しい」
酒場で出会った男。朗らかさと共に刃のような鋭い殺気を併せ持った男。
ファラミアは頷くだけにとどめ、次の言葉を待った。

「あいつは常に私を支え、共に戦い、力となってくれたかけがえのない友であり、協力者であり、――家族だった」
胸の奥を過ぎる小さな痛み、これは嫉妬なのか。ファラミアは今はそれに気づかぬふりをする。
「だが、私達は近すぎたのだ。多分」
王の横顔に苦悩の影が過る。
「もし、あいつが生きていたのならば、私はあいつにこう告げるだろう『もういいのだ』
お前はもう解放されるべきなのだと」
「……解放」
その言葉は胸の奥を波立たせる。
王は深い思いの淵にいるようだ。眼差しは深い湖の底を覗き込むよう。

「いつもハルバラドは言っていた。守るのだと。私を守り、未来を守るのだと。」
一族の悲願、イシルドゥアの災いを雪ぎ王国の復興を。
だがハルバラドはそんなことを口にしたことはなかった。あなたの望みを叶えるために俺がいるのだと。それだけで。
「そこにあいつ自身の望みはあったのか」
胸元を握り、王は眼差しを伏せる。
「あいつ自身の未来を、私が許さなかったのではないと言えるのか」
私が負うべき運命にあいつを縛り付け、あいつ自身の生を奪ってしまったのではないかと。
「だからもし」
顔を上げた王の眼差しにあるのは揺らがぬ決意か
「あいつが生きていたとしても、私はもうその未来に関わることはしないだろう」

「……本当に、それでよろしいのですか」
ああ。と王は頷く。あいつもそう望むはずだと。
――王よ、あなたは彼の真の望みを知っていてそう言われるのか。それとも本当に気づいておられないのでしょうか
ファラミアは声に出さず訴えた。
『酷い人だぜ』
ハルバラドの言葉の意味。
この方は、だからもう彼を傍に置くことはない。
自分の人生を、未来を生きてもらいたいのだと、それこそが彼の為だと信じているのだ。

言ったのは自分ではないか。この方は――知っている――と

本当に、なんと残酷な方だ。
そしてなんと、哀しい方なのだ。と思ってしまう。
この方こそ運命に雁字搦めに縛られて、自身の未来を、望みを抱くことを許されない。
彼を自由にしたいと言いながら、本当は自由になりたいと思っているのは貴方ではないのか。
そんな、決して口に出してはならない疑問が湧き上る。
言ったところできっと、この方は自分で望んでここにいるのだと答えるに決まっているのに。

――俺をあの人に近づけるな

ハルバラドが発した警告。それは理解できるはずのない言葉だったはずだ。
(いや、理解などするものか)
ファラミアはそう思いとどまる。それを認めてしまえば、あの男が指摘した己の怖れる結末を、己自身が導くことになるからだ。

そう、一つだけ言えること。
この国にとって、自分たちにとって、いや自分自身にとって、このエルフの石エレスサール王は失うことなどできない存在なのだ。

「王よ、我が王よ」

今目の前にいる人を呼ぶ。
あの男がなんとこの人を呼んでいたのか、その声を忘れるほどにと願うように。
あの男の望みとこの方の望みが本当は同じであることを知っていながら、それを悟らせまいとでもするように。
例え本当はこの方自身が解放を望んでいるのだとしても、それを認めることなど、できはしないのだから。

あの夜の闇に溶けて姿を消した男の背を思い出す。これからも夜の闇の中に生き続けるだろう男と、昼の光の中を歩く尊き王の道は分かたれ、交わることなどない。
だから

(私は、もはやお前を決して探すことはない)

――決して――
決して、この方をお前に渡したりするものか

それが、己の中のどのような感情に因ったものであったのかも分からぬまま、ファラミアはそう誓いを胸に秘めたのであった。





noraさんに、ほんのちょっとでいいから王様とハルさんが会うシーン見たかったなと呟きましたら 。

 「死んだはずの恋人が突然現れて、今の夫との間で揺れ動く」みたいな 昼ドラか韓流かみたいなドロドロになってしまいまして でも結局だれもハルアラを止められない。
 そうなると禁断の18禁になりそうで(ぱくちー意訳)
 ということで、二人を絶対会わせられなかったのだそうです(笑)。

 でもnoraさんの18禁見たかったわ(ボソ)
ファラミアを軽くあしらうカッコいいハルバラド! noraさん、素晴らしい力作をありがとうございました!