あの日――王によって救われたファラミアは未だ起き上がる事は叶わず、寝台に横たわっていた。
自分を道連れに自害しようとした父の最期、人づてに聞いた、兄ボロミアの過ちと死――生き残った我が身を
素直に喜べるほど、心の傷は癒えてはいなかった。
そんな中、ファラミアの救い主であり、これから忠誠を誓うべき主君となるアラゴルンが彼の元へやってきて、
彼に、ボロミアの最期について話してくれたのだ。
アラゴルンは悔いていた。
兄の生前、彼がアラゴルンに対し「一緒にゴンドールへ帰ろう!」と懇願した際、承知しなかった事を。
故国の存亡の危機に心を痛める兄が、どれほど追い詰められていたのか理解しなかった事を。
「ボロミアを…追い詰めたのは私にも責任がある。」
アラゴルンの苦い呟きを聞いて、ファラミアは思った。
そういった悔恨の念は、残された者たち全てが多かれ少なかれ抱えるものだと。
無論、自分も同じ思いを抱えている。
そして、同じ傷を持つ者同士が互いの気持ちを確かめ合う事で、少しずつ癒されるのだと。
ファラミアはアラゴルンによって、心も癒されつつあった。
その事を解ってもらいたくて、ファラミアは重い体を寝台から引き剥がすとゆっくり上体を起こし、アラゴルンの
手を取って、恭しく甲に口付けた。
「ファラミア…?怒ってはいないのか…?」
「怒る?何故です?私は、貴方が私と同じ気持ちを持ってらっしゃるのが嬉しいのです。
私と同じ様に、ボロミアの喪失を悼んでくださっているのが…堪らなく嬉しいのです!」
言いながら、こらえきれずに涙が溢れてきた。
アラゴルンの腕を胸に抱きながら、しばらく泣き続けた。
漸く涙が収まった頃、アラゴルンはファラミアの胸から自分の右腕をやんわりと引き、そして両の手でファラミア
の頬を挟みこんでゆっくりと顔を下ろしていき、彼の額に口付けた。
まさにその時、ファラミアの胸の奥で何かがカチリと音を立てた。
その場には相応しからぬ、ある疑念が湧き起こってきている。
『もしや、兄にも同じ事をされましたか?』
武術一筋で、頑なに妻を娶ろうとしなかった兄。
そういった方面では無骨でオクテだった兄。
確かさっき、その兄が、一緒に帰ろうと懇願したと言ってなかったか?
目の前にある王の顔をまじまじと見る。そこには、気高くて美しく、また知性と力強さを感じさせる顔があった。
自分の顔を凝視しているファラミアに、不思議そうに小首を傾げて目線だけで訊ねてくる。
その眼と言えば透き通った湖の様で、見つめていると溺れてしまいそうだ。
この穏やかな瞳が情欲に歪められる様は、さぞや凄絶なまでに美しかろう…ファラミアはごくりと唾を飲んだ。
『間違いない…!』
ボロミアは、この王となる男に恋をしていたに違いない。
兄のことならば、誰よりも自分がよく知っている。
それならば、兄は想いを告げただろうか?
そして本懐を遂げたのだろうか?
気がつくとファラミアは、アラゴルンに向かって真意を問い質していた。
兄と一線を越えたのか?と。
アラゴルンは当惑していたが、真実を告げるのが遺族に対する誠意と思い、ボロミアとの関係を告白した。
「そう…でしたか。兄が、自らの主君にその様な真似を…。」
ファラミアの言葉にアラゴルンは驚き、猛然と否定し始めた。
「そんな風に言わないでくれ!少なくともその時私は…私たちは本気だった。
本気の者同士が体を重ねるのに、身分とか、お互いの立場や出自は関係ない。」
ファラミアは混乱していて、何が何だか解らない。ただ、その時は兄が羨ましかった。
「それならば、私にも、情けを!」
そう言って、アラゴルンの身体を引き寄せ掻き抱く。
予期せぬ出来事にアラゴルンは虚を突かれ、抵抗する間もなく唇を塞がれた。
ファラミアの生暖かい舌が押し入ってきて初めて、自分が何をされてるか理解した。
慌てて胸を手で押して突っぱねようとするが、彼の両手がアラゴルンの後頭部をしっかり掴んで離さない。
怪我人とは思えない力だった。
多分、傷の所為で熱を帯びているのだろう。ファラミアの口内はとても熱かった。
その熱を味わっているうちに、アラゴルンの身体も熱が上がってきたらしい。
身体の芯が火照っている。一度火がついたらば自分の身体は厄介だ。熱を放出しない限り、冷める事は無い。
さんざんアラゴルンの口腔を味わった後で、ファラミアは身体を離し、彼に謝った。
「申し訳ありません。思いがけぬ事を聞きまして、動転致しました。お許しください。」
今更そんな事を言って突き放されても…アラゴルンの熱は収まらない。彼は首を振って、ファラミアに言った。
「もし、君にその気があるのなら…このまま通じ合ってはくれまいか?」
ファラミアは驚き、眼を見開いてアラゴルンを見た。すぐに返事は出来なかった。
「さっき申したではないか。私たちは同じ気持ちを抱えている、と。
同じ様にボロミアを悼んでいる、と…。」
「傷を舐めあおう…と言うことですか。」
「言い方は何であれ、する事は変わらん。」
アラゴルンの言い草に、ファラミアは少し笑った。高貴な血筋でありながら…気取りが無いにも程がある。
きっとその瞬間――ファラミアはアラゴルンに恋をしたのだ。
通じ合う――と言っても、まだ完全に傷が癒えたわけではないファラミアだから、最後の一線は越えなかった。
ただお互いの怒張を、掌で知るに留めたのだ。
事の後、アラゴルンは言った。「切り替えよう。」と…。
『トランジット』――今からファラミアは、エレスサール王アラゴルン2世の忠臣となる。
寝所にてお互いを解りあった時は身分も立場も無い、ただ、同じ心の傷を持つ者同士だった。
だが身体の熱も引き、部屋を出て行く際には、彼らは王とその右腕の執政官となるのだ。
「ファラミア…何を考えている?」
もの思いに耽っていたファラミアに、アラゴルンが問い掛ける。
アラゴルンは窓辺に佇んで、城下を見回していた。
そして顔は見せずに、声だけをファラミアに向けたのだ。
「切り替えの…難しさについて、思いを巡らせておりました。」
そう応える声は掠れ、明らかに情欲が混じる。
アラゴルンの背中がピクっと震える。
こうしていつも、窓辺に佇んで遠くを見ているアラゴルンの背中を、ファラミアは見つめていた。
あの日お互いを知ってからずっと、ファラミアにとってアラゴルンと共に過ごす日々は、とてつも無く苦しくて
そして――この上なく甘美だった。
思えば自分の人生はこんな事の繰り返しだと、ファラミアは自嘲した。
いつだって、一番欲しいものは手に入らない。でも、手を伸ばせば届くほど近くにそれは…ある。
アラゴルンの方も、ファラミアの視線を常に背に感じていた。
もう少しで背中に火がつくのではないか?そう思えるほど、ファラミアの視線は熱くあからさまだった。
気づいていながら気づかぬ振りをするアラゴルンに、ファラミアが珍しく仕掛けてくる。
「いつぞや、側近の侍従が申しておりました。
湯浴みの後で王の着替えを言いつかった際、全身に走る歴戦の傷跡がお痛わしかったと…。」
ファラミアが何を言い出す気かと、アラゴルンは息を詰めて言葉の続きを待った。
「そして、こうも申しておりました。
あれほど傷が残っていながら、背中には何一つ後が残っていないと。
生まれた時のままの、美しい背中であったと…。」
「それは…背中に手傷を負う事は武人の恥と、教え込まれてきたからに過ぎない。」
相変わらず、アラゴルンはファラミアの方を見ようとしない。
「それでも…私はその様な貴方の背中を誇りに思います。」
すぐ耳元でそう言われて、アラゴルンは驚き、振り返ろうとしたが叶わなかった。
ファラミアが背後から両の腕を回し、アラゴルンを抱きかかえていたからだ。
「ファラミア…何の真似だ?」
「存じております。貴方がそうして窓辺に佇んで、本当は何を見てらっしゃるのか。」
「私は…町を、民の暮らす町を見て…」
「嘘です!」
即座にファラミアが否定する。アラゴルンは口篭もった。
「貴方の眼は遠く大河アンドゥインを見、そしてこれを北上して更に遠くの空の下…アモン・ヘンの森を見つめて
いるのでありましょう?」
図星だった。
アラゴルンは、物事が思うように運ばない時や、自分の選んだ道が困難だと思い知らされた時、ボロミアを思い出
し、その喪失を嘆いて遠くへ思いを馳せるのだ。
かの地へ――アモン・ヘンの森へ。
「何故…」
「…解るのかと問うておるので?簡単です。私も――同じだからですよ。」
そう言って、ファラミアがアラゴルンの首筋を吸い上げた。
聞き取れないぐらい小さな声を漏らし、アラゴルンが首を逸らした。
背後から回されたファラミアの手が、ゆっくりとアラゴルンの胸や腹、そしてもっと下の方へと這いだした。
服の上から、いつか知ったアラゴルン自身に手を這わす。
今度ははっきりと、アラゴルンが声を出した。
これから訪れる快楽への期待に震える、淫らな声だ。
その声が、ファラミアのたがを外させた。
『トランジット』――今ファラミアは、エレスサール王アラゴルン2世の忠臣から、王を快楽へと導く情夫に姿を
変えたのだ。
王の間に置かれた長椅子はしっかりとした造りの頑丈なものではあったが、大の男2人が上で暴れてもいい様には
造られていないらしい。身体を動かす度にギシギシと悲鳴をあげている。
その椅子の、ビロード張りの座面にうつ伏せに寝かされて、アラゴルンはファラミアの愛撫を背に受けていた。
アラゴルンは上衣を途中まで引き剥がれた状態で両腕を拘束されている。
脱ぎかけの上衣が縛めとなっているのだ。
下衣はすっかり取り払われ、屹立したアラゴルン自身がビロードに擦られている。
その上から覆い被さっているファラミアは服を着たまま、ただ下衣の前立てだけを緩めていた。
衛兵にきつく人払いを言い渡しておいたので、最中に入ってくる者は居ないだろう。
もし誰かが入ろうとしても、職務に忠実な衛兵によって押さえられるはずだ。
ファラミアは安心して、縛めとなっていた上衣を解き、アラゴルンの背中に挑んだ。
首筋から降りてきたファラミアの舌先が、アラゴルンの背骨を辿り腰の窪みまで続く曲線を確かめ、
次いで肩甲骨まで、唾液の筋を残しながら戻ってゆく。
時折、衝動的にアラゴルンの肌を強く吸い上げては彼を喘がせた。
滑らかな背中を存分に味わいながら、手は前に回し、アラゴルン自身を追い立てる。
合間に、思い出した様にアラゴルンの胸の突起を摘んでみせると、彼は感極まった様な嬌声を上げた。
そしてファラミアは、なんぴとも汚す事の出来なかった背中に、幾つもの赤い鬱血した後を残す事に言い様のない
征服感を感じ始めている。
『決して背中に傷を負わなかった王が…無防備に、私に向かってその背を曝け出している…!』
そんな歪んだ情動に囚われて、ファラミアは気も狂わんばかりに興奮していた。
やがて自身の昂まりが耐えがたいものになってきたので、ファラミアは王の耳たぶを咥える様にして、彼だけに
聞こえる声で、
「貴方の中に――入っても宜しいでしょうか?」
と訊ねてくる。
アラゴルンは一瞬躊躇ったが、密接した腰がファラミアの限界を感じ取っていたので、受け入れる決心をした。
ここまで来て、拒絶するのは哀れというものだ。
ファラミアはあくまで主君につらい思いはさせたくなかったので、大変な努力をして自身の昂まりを抑えておき、
ゆっくりと時間を掛けて、アラゴルンの秘部を馴らし始める。
最初は指で解し、次いでファラミアが舌を使ってその場所を濡らして、自らを受け入れる準備を施す。
慎重だが勿体ぶったやり方に、野伏の暮らしが長いアラゴルンは焦れて舌打ちした。
「もういいから…早く来い!」
『ああ、まただ。』
ファラミアはこっそり苦笑を浮かべた。
高貴な血筋とは思えない、有り体なものの言い方――堪らなく愛しい。
そんな自分の想いの丈を込めて、ファラミアがアラゴルンに押し入り、そして繋がったまま果てた。
すっかり空は夕暮れて、鳥たちもねぐらに帰ってしまった。
ファラミアは今ではもう王の忠節なる家臣に戻り、王の身繕いを整えている。
アラゴルンはファラミアの顔をちらと見るや、目を窓の外に転じ、そして訊ねた。
「ファラミア…君はあの森へ足を踏み入れたことはあるか?」
「ありません。貴方こそ…」
そこでファラミアは言葉を切ってしばし逡巡する様な顔をしたが、意を決して言葉を継ぐ。
「兄の死後、あの森へは…?」
アラゴルンは少し考えてから、こう切り出した。
「あれ以来、足を踏み入れてはいないが…君が行くと言うのなら、共に参ろう。」
ファラミアが驚いて息を呑んだ。
主君の口から、思いも寄らない言葉を聞いたのだ。
それはどんな愛の告白よりも、ファラミアの心を歓喜させる言葉だった。
『何も要らない…そのお言葉だけで充分です…!』
滲んできた涙を慌てて拭い、ファラミアは純粋に忠誠を誓う為の口づけを、アラゴルンの手に静かに落とした。
暮れなずむ空は確実にかの地の空と通じている。
いつか…そう、いつになるか判らないが、必ずや主君と共にあの森へ行こう。
そして主君と共に、ボロミアの最後の地をこの目に焼き付けよう。
さすれば、自分が知らなかった風景を知ることで、また一つ主君と同じ思いを共有できる。
それこそがファラミアの、目下の最大の喜びなのだから。